さんちゃんをこの世に出してから五日目の今日、火葬の日を迎えた。私が病院から退院すると同時に葬儀屋さんで冷凍保存されていたさんちゃん。
考えると、胸がしめつけられる日々だった。

早くお空に返してあげたい

そうは思っては、無力な我が身を思い知るの繰り返しだった。なので、火葬の日は少し待ち遠しかったというか、けじめをつけるというか、ふわふわして頼り無いけど、私なりの決意の日だった。

火葬場は保育園を休ませた子供達と主人、そしておばあちゃん二人が来てくれました。人数が多いとさんちゃんも寂しくないかな、なんてことを思い、二人のおばあちゃんはすごくありがたかった。

最後に葬儀屋さんからさんちゃんの顔を見せてもらった。水分が抜け、少し子供達に怖いかな、と思ったけどしっかりさんちゃんにさよならって言うことが出来たのが頼もしかった。みんなでさんちゃんの周りに折り鶴や袋から出したお菓子、私達家族の写真、手紙を入れ、蓋をして、主人が泣きながら火葬場まで抱っこして運んだ。

火夫さんと確認しながらさんちゃんを出棺した。

40分程でさんちゃんは、小さな小さな骨といっても分からないくらいの小さなカケラになった。火夫さんは「ちゃんと頭蓋骨が分かるように残ってくれてますよ」と教えてくれた。最後までさんちゃんは、私たちに親孝行してくれた。


骨はしばらくおうちで供養することにした。
しばらくといってもいつまでなど、全く決めてはいないけど、毎日そばに置いていたい。私のエゴだけど、供養になればと、本当に私のエゴだけなのだけれど、そばにいて欲しい。

そう思ってます。
さんちゃん、お母さんのところに来てくれてありがとうね。お空からいつも見ていてね。
ありがとうね。

待っててね。



みんなが帰った。
旦那に買ってきてもらった棺に入れる用のおもちゃの包装を開けたり、折り紙で鶴やら何やらを折っていた。
折ると何も考えなくていいから、助かった。

ふと、(さんちゃんもしかして寂しいんじゃないかな。兄ちゃんもチビも寂しがりだから、一緒に居た方がいいのかな)と思い出すと、涙が止まらなくなった。※さんちゃんは産科、私は婦人科と別々のところにいる。

周りが若い患者さんで、若いお見舞い客と楽しそうだったので、鼻をすすることも出来ず苦しかった。考えを止めようとしても、そのことが頭から離れてくれなかった。思い切って(声を出せないほど静かに泣いていたので)、紙に書いて通りがかりの看護師さんに「夜子供と一緒に居ることできますか?」と伝えると、「何かあったら責任が持てないので無理です」とバッサリだった。

その後、シクシク泣いた。私、泣き虫だったんだくらい泣いた。aikoのナキムシくらい泣いた。
追い討ちをかけるように、涙目を隠しながら夕飯を取りに行くと、「◯◯さんの、処置室(違う階)の方にあります!ごめんなさい!」と言われ、折り紙を折りながら待てども待てども来ない。三匹くらい折った後、ナースコールで「私、夕飯どうしたらいいですか」と言うと、バタバタバタッと廊下を走る看護師。

忘れられてた・・・

よりによってこんな日に。
よりによってこんな日に。

泣きっ面に蜂だった。もう、ちょっとここには不信感しか無くなりおかしくなりそうだったので、妹(同業者=看護師)に面白おかしく愚痴ったら、怒りで少し元気になった。涙もいつのまにか止まっていた。怒りってすごい。

その際、シクシク泣いていたときに旦那に弱音ラインを送っていたのを忘れていて、元気になった頃に励ましメールが届く。




テンションが違い過ぎて、後半話が噛み合ってない。

そんな訳で(どんな訳で)、さんちゃんはうちの平和の象徴として我が家の平和記念像みたく感謝して参っていこうと誓った今日でした。
さんちゃん、忙しくなるぞー!

まだ火葬とかあるから、一応続く。
はじめてのたった一人での出産だった。
なかなか授からず、頑張って設けた3人目だった。

産まれてきたら、お兄ちゃんもちょうど小学校にあがるからとてもいいタイミングで産休が取れると思っていた。
上の子が男の子2人だったから、周りは女の子を欲しがっていた。私は、今更女の子が産まれても戸惑うから、引き続き男の子が欲しかった。

今考えると、そんな勝手な事情なんてどうでもよかった。


助産師さんが来て、
「大丈夫?赤ちゃん見る?一人で大丈夫?」
と気を使って聞いてくれた。
「ぜひお願いします。・・・あ、」
「どうしたの?」
「男の子でした?女の子でした?」
「男の子だったよ!」
「あは!」

私の希望通りの子だった。
お利口さんだった。
とっても親孝行(私孝行)だった。
お母さんが傷つかないように、胎盤に包まれて産まれて来てくれたし、障害を持って産まれても私が育てられないからって先にお空に行っちゃったし、もしかしたら、私や子供達の厄を背負って身代わりになってくれたかもしれない。

ここまできたらタラレバ論ですが、さんちゃん(3番目のさんちゃん)は沢山のことを私に気づかせてくれた。感謝しかない。当たり前なんてない。この普通の毎日は、とっても奇跡的なことだったんだ。

さんちゃんが白い布に隠されて助産師さんが持って来てくれた。そっと開くととってもちいさな赤ちゃんが手を前に組んで寝ていた。あまりにも非現実な小ささに「ありがとうね」っていって頭を撫でるのが精一杯だった。感触がゼリーみたいだった。

しばらくして旦那がお昼ご飯を持って病室に来た。
「いつ産まれたの?」
「11時ちょうど頃。あ、今日は長崎原爆の日だ!長崎生まれの私は、8月9日の11時2分の原爆投下の時にさんちゃんを産んだんだ!」
「覚えやすいね」
なんておにぎりを頬張りながら話をしていたら、息子2人と台風の中飛行機で東京にまで来てくれた長崎のお母さん、義理母が病室に来てくれた。

旦那がなかなか見ることが出来ず、みんなでさんちゃんを見ることになった。というよりも、私がみんなとさんちゃんを会わせたかった。
看護師さんに言うと、部屋を設けてくれた。

皆で、個室に入ると、白い箱が机の上に置いてあった。

皆で、旦那に開けさせようとしたけど、旦那は既に泣いててどうにもならず、私が開けた。

あまりの小ささに再び旦那が号泣した。

兄ちゃん(6)は「宇宙人みたいー」と素直な感想を言っていた。弟(3)に至っては、さんちゃんをペタペタ触ってしまいおばあちゃん二人に止められていた。

旦那と子供らのすごい温度差が可笑しくて悲しかった。
続く



10:30
薬を入れられると、お腹と腰がズクズク。とりあえず3時間そのままでトイレは知らせてとのことだったので、落ち着かない状態で携帯を見たり、家族へ定期連絡したり・・・

11:00
なんだか分からないけど、おしっこ?みたいななんだか分からないけどムズムズ。気持ち悪いから一応トイレにいこうと思いナースコール。全然誰も来ず、ソワソワ。やっと助産師さんが来てくれて、既に半身立ち上がっている私を制し、
「触診させてね」
(トイレに行きたいのに・・・)
「うーん、おしっこはそっとしてね」
(そっと?)
と、助産師さんに連れられてトイレへ。

かがんでおしっこを出した途端、「ドボドボ!」っと何かが便器の中へ落ちる音。血でなにが落ちたのかは見えない。
(え、赤ちゃん?)
と、思った途端!ヌルっと股から何かが出てくる。これはヤバい!と直感なのか野生の何かなのか、ムッとお股で踏ん張ってそれを止めて、股を覗くと黒い頭のようなものが半分出てきてる!
慌てて手で押さえ、
「あ、あの!看護師さん!!💦」
と呼ぶと、ドアの前にいた助産師さんがすぐさま入って来てくれて
「どしたの!(覗いて)あ、そのままベッドに戻れる?」
わたし、股を開いた状態でお相撲さんのすり足でベッドへ。
「これは?」
「胎盤ごと出て来たんだね。赤ちゃんがお母さんを傷つけないようにして出てきてくれたんだよ。先生呼んでくるね。ちょっとそのままね。」
わたし、下半身血まみれで股付近には胎盤に包まれた赤ちゃんと2人きりで、先生が捕まらないのか五分くらい放置。すごく静寂な中、呆気ない出産にしばーらく呆けてて、(こんなもん?普通の出産と違いすぎる)。ハタと、どうなっているのか気になってお股を覗くと、血にまみれた真っ黒いレバーのような私の胎盤が。

あの中に入ってるんだ。
早く逢いたい!お母さん逢いたいよー!
続く
1日目(入院した日)
子宮口に七本の棒(水分を含むと膨らむ)を入れて、陣痛を促す。
はじめての処置で、これまでヘラヘラしていたのに、先生の前で泣いてしまう。頼りない若い担当看護師から「何か身体じゃなくて気持ちでも気になることがあったら相談して下さい」と言われてまた涙。

2日目
子宮口を診てもらうもまだ硬く、今日も様子見。
棒を一旦全部抜いて身体を休め、改めて13本に増やして入れる処置をする。
お医者さんから明日産みましょうと言われる。
今日は冷静に受け応えできそうだったので、先生に
「赤ちゃんって今どんな状態ですか」
と聞くと
「心臓が止まってしばらくおなかにいたので、少し浮腫んでいるかも。」
「男の子か女の子か分かりますか?」
「それはもう分かると思いますよ」
とのことだった。
夕食を取りに行ったら昨日の若い担当看護師から「お名前は?」と聞かれる。お前・・・

3日目
入院している階(婦人科)から下の産科へ移動。赤ちゃんとすれ違う。可愛い。
処置室で点滴を打ち、棒を抜いて、座薬のような薬を入れられる。そこから3時間待ってくださいといわれる。お腹がシクシクしてきた。