去年の3/11、金曜日。

2時45分過ぎに突然、職場がビルごと振り回されるように揺れた。

天井と壁の境界がミシミシと音を立て、窓の外の景色も遠心力で揺れていた。

1階まで逃げようとする人もいて、私も真剣に身の危険を感じた。

あの時、東北では大惨事になっていたなんて。

ちょうど翌日から、私は福間に行く予定にしていた。

新幹線も予約してるし、楽しみにしていたし、実は地震が起きてもしばらくは行くつもりだった。

けれど、その日夕方のニュースで流れた気仙沼の火の海。

あれを見たら、暢気に新幹線で遊びに行く気にはなれなくなった。

阪神大震災の記憶が蘇ったから。

神戸の街も焼け、阪神高速や新幹線は桁が落ちた。

今回は行くのを辞めておく、と連絡した時、せっかく予定してたのに…という電話の向こうからの声に、声を荒げてしまっていた。

あれから2ヶ月見送り、5月からまた行き始めたと思う。

緊急地震速報の気味悪い電子音も、最近ではほとんど聞かれない。

でも、いずれ必ず東南海地震も起きる。

そしてまた、少なからず、自分の暮らしも影響を受ける日が来る。

暮らしだけで済めばいい、自分がその瞬間どこにいるかなんて予測もつかないのだから、命があるかどうかなんて誰にもわからない。

でも、阪神大震災や一年前の記憶はあっても、私はまだそこのところが本当にはわかっていないんじゃないかと思う。

生きていくうえで、手離しても構わないもの、死ぬまで離してはいけないもの。

自分の中で整理をしても、早くはないのかもしれない。




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