Stranger
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移動しました。

はてなに移動しました。↓です。
http://d.hatena.ne.jp/coochoo/

名前もタイトルも変えています。
書いている人も変わっているかもしれません。
気分です。

スキゾミュージック2

前のエントリで、挙げたものがかなり不完全で悔しいので、追加します。酔ってません。

ECD : Direct Drive


ECD, HOWLING UDON
MELTING POT(メルティング・ポット)

ECDは昔の「俺たちに明日はない」とか最近のイルリメと一緒にやったやつとか、どの時代も最高なんだけど、MELTING PODの正気と狂気がうまい感じに織り混ざっていて、一番好き。
レコードレコードレコードレコードレコードレコードレコードレコード
小西氏と須永T氏の両リミックスもナイスすぎる。


POLYSICS : XCT


POLYSICS, HIROYUKI HAYASHI, マーク・マザーズボウ, ジェラルド・V, カサール
XCT
狂気のキーボードとギターがやばすぎる。
えっくすしーてぃーーー


Anticon : Nothing but Sunshine


Anticon
Anticon Presents: Music for the Advancement of Hip Hop
なしんばっとさんしゃいんいつおーるさんしゃーいん
アングラ(なのかな?)なヒップホップは狂っててててててナイス。

Roy Ayers : Everybody Loves The Sunshine


Roy Ayers Ubiquity
Everybody Loves the Sunshine
サンシャインといえば、この曲だった。
キーボードが凄すぎる。
えびばでぃらぶずさんしゃーいん

The Specials : Pressure Drop


The Specials
Today's Specials
スペシャルズもないすだね。
スカも全般的にスキゾ度高いね。
最近のパンクものは低いんだよ。
基準は全くないけど。

Fishbone : Party at Ground Zero


Fishbone
Fishbone

もいっこスカ。パンク系だけどいいの。前言撤回でした。
イントロがわけわからなくていい。
今思えば、すごいタイトルだよね。
例の件とは全く関係ないんだろうけど
パーティするくらいが丁度いいのかもね。
おんなじようなビル建てるよりかは。
安藤忠雄のアイデアはすごい面白いと思ったけど。
ビルなんか建てない方がいいのにね。


なんだかわけわかんない選曲だね。
ま、いいけどさ。

江戸、東京、想像力

散歩をするのが好きだ。
ただなんとなくぶらぶら歩くのが好きなのだ。
たいてい2、3時間くらい歩き続ける。
夜中の2時、3時くらいでも平気に歩き続ける。
今日は雨降っていたのに、2時間くらい歩き続けた。

散歩自体はもうだいぶ前からしていることなんだけど、
新たな散歩の楽しみ方を見つけた。
江戸時代の東京の地図を参照しながら歩くことだ。
地図帳片手に歩くのはかなり恥ずかしいので、
行くところの江戸時代の地図を記憶して、散歩し、
帰ってから、歩いたところを地図で見るという作業をする。
かなり楽しい。

なんでこんなことをしてるかというと、
単純にアースダイバーに影響されたからだ。



中沢 新一
アースダイバー

中沢は縄文地図を持って、東京を「ダイブ」するのだが、
そこで色々と東京を再発見する。
ま、ほとんどは胡散臭いものなんだが、
その胡散臭さがまた面白かったりする。

この本を読んで、以前読んだ陣内 秀信の 東京の空間人類学を思い出した。
陣内は東京の空間は江戸時代から本質的に大きく変わっていないと主張する。
東京の空間は明治維新、関東大震災、東京大空襲、高度経済成長など、
空間の認識論的な大きな断絶が何度もあったにも関わらず、
江戸時代から脈々と受け継がれている。
江戸時代の地図と、現在の地図を見比べてみると、
その同一性に驚く。
同じ土地なんだから、同じような地図なのは本来当たり前なんだけど、
同じということに驚いてしまうのが不思議だ。
それほど、認識論的な断絶が大きかったんだと思う。
もしくは、「江戸」と「東京」は違うものだという風に教えてこられたからかもしれない。

江戸時代の地図を記憶して、散歩すれば江戸の町並みが見えてくる。
そうであれば、いいのだが、中々見えてこない。
理由は簡単。東京はあまりにも騒々しい。
音だけでなく、風景も騒々しい。
こういう時、大活躍するのが、iPodだ。
iPodを使い、大音量で音楽を聴きながら歩く。(ほんとはちょっと危険だが)
そうすることで東京の「今」を消し去り、東京という空間と僕の感情を直接つなげる。
そうすると江戸時代の東京が見えてくる。
というか、感じる。
ゲニウス・ロキを呼び覚ますのだ。
この街道を越えたら、明らかに違う空間になるとか、
ここは昔、林道だったんじゃないかとか、
車の流れが水の流れに見えたり、
色々感じることができる。
もちろん単なる想像で、胡散臭さ満載なんだが、
帰って地図を見直したら、あながち間違っていない

東京の空間はポストモダンな空間で、ハイパーリアリティ満載だ。
そこに本物はない。すべて「コピーのコピー」だ。
あるのは空虚で虚飾だらけの物語のみ。
機能性、効率性という「大きな物語」も消えかかっている。
いや、「大きな物語」は確実に残っているが、
うまい具合に不可視な存在になっている。
ポストモダンの虚飾が、大きな物語を目立たなくさせ、
大きな物語の空間を通らなくてもいいように、交通が整備され、
大きな物語さえも、過去のファンタジーにされている。

しかし、こうした見方は東京の上辺だけを見た見方だ。
東京の街はただ見るだけではポストモダンの魔術に騙されてしまう。
想像力を膨らませ、感じるのだ。
そうすれば、江戸時代から一続きの「江戸=東京」を見ることができる。
東京の歴史を感じることができる。
ラディカルな都市空間「東京」が実は江戸時代からちっとも変わっていない
ということがわかる。
東京の街は不思議だ。

愛すべきスキゾミュージックたち

なんとなくスキゾイドな感じがする音楽たちを集めてみました。選択の基準は特にありません。なんとなくです。別にこれが聞いたことある中で最高のスキゾミュージックっていうわけでもありません。思いつくままです。たぶん重要なのを忘れてるな。思い出せないけど。というわけで、思いつく限り。


1.フィッシュマンズ : ナイトクルージング

空中キャンプ

フィッシュマンズから抜け出せません。助けてください。やばいくらいの中毒性。フィッシュマンズを聞くと他の音楽が聴けなくなります。スキゾ具合は「ゆらめき in the air」とか「Walkin' in the rhythm」のが高いけど、曲としてはナイトクルージングが好きなので、こっちをチョイス。


2.Squarepusher : Port Rhombus
Port Rhombus

初期Squarepusherらしい超高速ドラムがすごい。狂ってる。そういえば、Aphex Twinあたりもかなりスキゾイドですね。


3.TOKYO NO.1 SOUL SET : ロマンティック伝説
TRIPLE BARREL

行きかう人の少ないこの街で~
ソウルセットはこの頃が一番狂っててかっこよかった。同じアルバムに入ってる黄昏'95もナイスなスキゾ具合。


4.Lou Donaldson : Shadow of Your Smile
Mr. Shing-A-Ling

ジャズからはLou Donaldson。かなりファンキーでナイスな狂い具合。オルガンがやばい。オーネット・コールマンとかのフリージャズとか、サン・ラーとかも狂ってるけど、ルー・ドナルドソンくらいが丁度よく感じる。ジャケもナイスすぎる。


5.Selent Poets : DON'T BREAK THE SILENCE feat. VERGINIA ASTLEY - REMIX BY LITTLE TEMPO
FOR NOTHING

画像はリミックス盤がなかったので、オリジナル版。
For Nothing Remix収録のDON'T BREAK THE SILENCEのリトルテンポによるリミックス。これはかなりとろけます。いい感じにダビーです。


6.A Tribe Called Quest : Find a Way
The Love Movement

トライブもかなりスキゾキッズだね。この曲はトライブの最後のアルバムのシングル曲。テイ・トウワのテクノバと同じサンプル使ったもの。ナイスな狂い具合。同アルバムの「Give Me」もナイス。
トライブは「The Low End Theory」が最高だけど(特にElectric Relaxationあたり
)、スキゾ具合では最後のアルバムが強烈だね。


7.Quincy Jones : Staff Like That
Sounds...And Stuff Like That!!

クインシージョーンズは正統派のジャズやったり、ファンクやったり、ディスコやったり、ボサノバやったりで、そういう感じがスキゾだね。Staff Like Thatは初期ディスコの名曲。キャッチーでナイス。


8.Sly & The Family Stone : If You Want Me To Stay
Fresh

スライもかなりスキゾだ。特にこの曲のイントロのベースはたまらない。JBも中々なスキゾキッズだけど、スライの方がスキゾ具合が高い気がする。根拠も理由もまったくない。


9.Curtis Mayfiled : Back To The World
Back to the World

カーティスはどの曲も最高なんだけど、あえてこの曲をチョイス。カーティスの裏声は素晴らしすぎます。彼の声は攻撃的にも聞こえるし、ものすごく優しくも聞こえる。この曲は後者の優しい声。素晴らしすぎます。


10.Bob Marley : Wait in Vain
Legend (New Packaging)

やっぱボブですね。やっぱボブだわ。はずせない。この曲はイントロのキーボードがやばすぎる。


11.Jimmy Cliff : Wonderful World, Beautiful People
Wonderful World, Beautiful People

スキゾ具合はボブマーリーよりも、ジミークリフの方が高いと思う。ワンダフルワールドビューティフルピーポーとか言ってる時点で、かなりきてる。

いろいろ

色々あったようで、何もなくて
辛いようで、楽しいようで
わけのわからない毎日です
口ずさむ音はなんだい

書こうと思っていることはいくつかあるんだけど
気力がまったくでない
思い出す限り
「メタについて」
「間主観性と音楽」
「社会学、空間、時間、自分」
「分裂病、身体化、役割距離」
「語りえぬ音楽」
「天才、分裂病、音楽」
「アンフォーカスドアクションと監視」

まだどれも全然固まってないんだけど
最後のは昔、バイト中ひまだったから
ばれないように英語で書いてた論文
ちょっと面白いテーマだから
書き直してみたいんだけど
気力がね
フィッシュマンズはやる気を奪うような気がする今日このごろです。
僕ら半分夢のなかー

だるい

だるいです。
部屋がすごい荒れてます。
何もする気になれません。
お散歩してきます。

ボブ・マーリー



Bob Marley & The Wailers
Legend

僕は、えらそーにボブ・マーリーを語れるほどの者ではないのだが、少しだけ。

ボブ・マーリーと出会ってから、音楽観が全て変わった。僕にとってボブは神に近い存在だ。僕が初めてボブ・マーリーを聞いたのは、たぶん中学3年くらいのことだと思う。それまでは、周りの人と同じように、普通にテレビで流行りの音楽を聴いていた。チャゲ&飛鳥(すげー!一発で変換できた!)とか。だけど、当時からひねくれてた僕はマスメディアに対する反抗みたいな形で、いわゆる「洋楽」に手を出すようになった。でも、結局ヒット曲しか知らないので、メディアに十分踊らされてたんだけど。その当時、ダンスホールレゲエがブームになってて、自然とレゲエも聞くようになった。そこでボブ・マーリーと出会った。

最初に聞いた時はどういう感じだったんだろう。あまり思い出せない。でも衝撃は大きかったんだと思う。そこから、完全に音楽の趣味が変わった。音楽をちゃんと聴くようになった。感じるようになった。僕の音楽遍歴はそこからはじまった。その後、ジャズとかソウル、ファンク、ヒップホップ、ハウス、ドラムンベースなど色んな音楽を聞くようになった。ボブと出会わなかったら、そういう音楽とも出会わなかっただろう。

今でも何かある度にボブを聞く。僕のオールタイムベストには常にボブが入っている。特に好きな曲は「Redemption Song」だ。この曲は本当に特別だ。言葉で表すことのできない特別な曲。
      
    "Emancipate yourself from mental slavery, None but ourselves can free our minds"

というフレーズは僕の座右の銘的な言葉になっている。

ローリン・ヒルとジギー・マーリーのカバーバージョンのRedemption Songもかなりいい感じ。ローリンはあの声で歌い上げ、ジギーはボブと間違えるくらいボブに似た声で歌う。

でもこの曲はせつないですね。

i-dep - Super Departure



i-dep
Super Departure


i-depの新しいアルバム「Super Departure」を買った。買ったのは1週間くらい前だけど。このアルバムはハッピーだ。ハッピーとしかいいようがない。彼らが選曲したMix CD「Italian Job」もハッピーでサイコーなアルバムだったが、このオリジナルアルバムも負けず劣らずの出来だ。

プロローグに続く2曲目の「Sign of Summer」からいきなりハッピー。キュートな声で「ルキンフォーザサイノブサマータイム」っていう印象的なフレーズを歌い上げる。サイコーに気持ちいい。何も考えずに身を任せていたくなる。途中で転調するところとか、見事にツボを押さえている。澄み渡った青空の下で、大音量で、ビール片手にタバコを吸いながら、リズムに流されながら、目をつぶって、この曲を聴いていたい。

でもちょっと買うタイミング遅かったな。「Are you ready for your summer time?」ってもう終わりかけなんですけど。僕は準備する前に終わる感じなんだが。夏休みは9月に取る予定なので僕の夏はこれからってことで。

Italian Jobもそうだったんだけど、通勤電車で聞くといい感じ。っていうか、イヤな仕事に少しでも行く気になる助けになる。駅に着いてイヤホン外したら、すぐに今日も仕事かってモードに戻ってしまうんだけどね。

あと、演出もにくいね。このアルバムを買ったら、「Super Arrival」っていうCDと飛び出すメガネ付きの3Dグラフィックが付いてきた。別にいらないんだけど。「Super Arrival」は「Super Departure」とは逆にチルアウトって感じの音。これもいい感じ。

僕はジャジーなハウスとか、ディープハウスとかが好きなんだけど、こういうテクノよりでかなりハッピーなハウスもすごくいいですね。久しぶりにクラブでも行きたいな。

わたしを離さないで



カズオ イシグロ
わたしを離さないで

昨日も書いたけど、またカズオイシグロの「わたしを離さないで」のこと。昨日のエントリーを書いた時点では、1/3くらいしか読んでなくて、ふと思った自分のことを書いた。昨日の時点では、まだよくわからなかったけど、この本は本当にすごい。

今日は昼に起きてずっとFF3をやってたのだが、気分転換にこの本を読み始めたら、FF3どころじゃなくなった。淡々とした語り口、詳細な描写、絶妙な構成とか色々この作品を語る方法は色々あるだろうけど、そんなことはどうでもいい。とにかくすごいのだ。ネタバレになるから詳しく書くことは控えることにするが少しだけ。

この本では「運命」が大きなテーマの一つだと思うのだが、僕はこの本を読んで時間について考えるようになった。自然界ではニーチェの永劫回帰的な永遠のループが支配している。夜が来れば昼が来て、冬が来れば夏が来る。動植物の生と死もこの一環のなかに埋め込まれている。しかし、人間だけは別だ。唯一人間だけが自己の目覚めから死へという直線的な時間の中に生きている。それは狭い意味での時間という感覚を持っているのは人間だけだからだ(チンパンジーなどの高等動物も実は持っているのかもしれないけど、多くの点で人間のものとは大きく違うことは明らかだと思う)。異論はたくさんあるけど、僕の時間に対する考えの一番の基礎となっているのはこういう考えだ。

現代の先進諸国に生きる多くの人は自分の将来がどういう風になるのか知らない。できることは夢想するだけだ。いつ来るかわからない死へと向かって歩み、人生の意味を探し続ける。しかし、この本に出てくるヘールシャムの人たちは最初から運命が決まっている。人生の意味が決められている。将来についてどんなに思いを巡らせても、彼らがするべきことは決まっている。

しかし、それはそれでいいのかもしれない。最後の時がわかっているからこそ、その時に向かって今を生きることができる。一番辛いのはいつ終わるともわからない悲劇の日々が続くことだ。フランクルは、有名な「夜と霧」で、アウシュビッツで過ごした日々で辛いことは、いつ終わるかわからない状況で、悲惨な日々が続くことだ、と書いている。終わりが見えていれば、終わりに向かって悲惨な日々も耐えることができる。しかし、終わるか終わらないかわからない暫定的な状況がずっと続くことは大きな苦痛で、自ら死を選び時間を止めたくなるのかもしれない。こういう状態では、人間の特権でもある直線的な時間がなくなり、単なる毎日のループによって支配される。もしかすると、少なくない数の現代に生きる人もこういう状況で苦しんでいるのかもしれない。

うーん。言いたいことの半分も書けてないな。カズオイシグロみたいな文章力が欲しいです。

カズオイシグロと普通



カズオ イシグロ
わたしを離さないで

昨日の「ぎゃふん」は予想外にショックが小さい。むしろすっきりした気がする。このことはいずれ書こうと思う。ということで、ずっとFF3をやっているのだが、その合間を縫ってカズオイシグロの「わたしを離さないで」を読んでいる。

まだ読み終わってないし、読み終わっても書評を書くつもりはない。だけど、この小説を読んでいたら、僕が普段気にしていたけど、はっきりしてないことが少しはっきりしてきたような気がする。それは僕が「普通」を異常に気にするっていうことだ。

心理学で有名な実験がある。被験者に何人かの友人に対して、その人はどのような人か形容してもらう。彼は他人について何かを話している。しかし、本当は自分についての何かを話しているのだ。原理はこうだ。ほとんどの人は絶対的なモノサシで何かを語ることは出来ない。それが人についてなら、なおさらである。他人を評価するときは何らかの基準が必要になる。その基準となるものは自己以外ありえない。人が他人を評価するとき、自己を基準にして他人を評価している。つまり、他人について何か話していることは、自己についても話しているのだ。

僕が友人について何か話すときには、「普通」とか「変わっている」とかいう言葉が多く出る。それは僕が「普通」を異常に気にしているからだ。もっとはっきり言うと、「普通」であることを非常に恐れているのだ。

僕らの世代はみんなそうだと思うのだが、僕は個性的であることを半ば強制されてきた。個性的であることが、「かっこいい」こととされ、平凡であることは「ダサイ」こととされてきた。僕は多くの人以上にこのことを気にしてきたんだと思う。個性的であること、人と違うこと、「普通」ではないことを常に意識して生きてきた。

しかし、どんなに頑張ったところで所詮僕は「普通」でしかなかった。勉強もスポーツも何でも「普通」という枠を超えられなかった。大学4年になっても就職活動しなかったり、卒業してからイギリスに行ったりしたのも、「普通」から逃げるためと無関係ではなかったのだろうと、今では思う。しかし、それでも「普通」からは逃げられなかった。高校は中の上くらい。大学は僕の行ってた高校のレベルからすると、かなり頑張った方だったが、世間では中の上くらいの大学。人と違うことを望んでイギリスに行っても、帰ってきてからは結局普通のサラリーマンになった。

以前のエントリーで僕は「分裂病に興味がある」と書いた。その時、僕は分裂病親和的な人格だから興味があると書いたが、他にも理由があるようだ。それは「異常」に対する畏怖というか、憧れのような感情があるからだと思う。所詮「普通」でしかない僕は「異常」である分裂病に対して強い憧れを抱いているのだと思う。

自分でもわからないが、もしかするとこれは逆説的なことではないのかと思うことがある。つまり、表面的では「普通」であることを恐れて、他人と違うことをしようとしているのだが、もっと深い部分では逆に、「普通」であることを欲していて、どんなに突飛なことをしても「普通」でしかありえないことに安心しているのではないか、ということだ。僕は「普通」と思われたいがために、「異常」になろうとしているのかもしれない。

というのも、子供のころは「普通」であることに固執していたという記憶があるのだ。多くの子供と同様、僕も友達とかに「ばーか」とか言い合っていた。その時はバカと言われたら、「バカじゃないです。普通です。」と答えていたと思う。冗談でも、「天才」とか「秀才」と呼ばれることにも拒絶反応を示していた。

ま、過去の記憶なんてものは、現在の自分というフィルターを通して再構築されるのもなので、信用できるものではないのだが。でも、そういったことを覚えているってことは、少なくとも現在、そういったことを気にしているっていうことだろう。

カズオイシグロの「わたしを離さないで」は、普通ではなく「特別」な人の話だ(まだ全部読んでいないので不確かだが)。カズオイシグロ本人も日系イギリス人としてノマド的なアイデンティティの不確かさを持っているのだと思う。僕は逆にどんなに頑張っても普通以上になれない存在だ。それはそれで十分苦痛なことだ。