神社と寺に阿吽の像が置いてあります。
この阿吽とは、言葉の初めと終わりを意味しています。
「神」という字の「ネ」が阿吽で、「一」と「了」となります。
参拝者から見て、左の像が「阿」となります。
「あたま」とは「阿玉」と言い「神の意識」=「阿頼耶識」です。
「にしむくさむらい」とは、左(西)に「阿」
「さむらい」は「11」で「士」となる。
「みぎにならえ」とは「左に手本を置く」というもの。
「左に手本」「右に倣え」が全文となります。
左から右へ読み書きする事を「白読み(つくよみ)」と言います。
白は無垢
元は「恙無い(恙無=つくむ)」から「九十九(つくも)」
「白無垢」とは「白は無垢」
「無垢」とは「69」で「太極図」を意味しています。
逆は「96」です。
「黒読み(くらやみ)」で、文字を右から左へ読み書きする
と苦労する。と言う事を意味しています。
「吽」とは「労働者」の事で、元は「牛」と書いていました。
何も出来ない者を「午(まご)」と言い
頭角を現した者を「牛(うし)」と書きます。
昔は「大人」と書いて「うし」と読んでいました。
何者かが「牛」に「口」を付けて「吽」としたようです。
「喋る牛」と言う意味でしょうか?
「阿吽」の「吽」は「労働者」です。
阿吽を海外では「神の労働者」と訳しています。
ヘブライの伝承
「ゴーレムは土より出でる」とは、「土」=「女」であり、
「女(土)」から生まれる「士」=「善き男」
「吽=ん」は「ん」=「人」(ん=ω)で「吽」は「人」となる。
「さむらい」=「11」
「11」はヘブライにおいて「霊力」を意味する。
人の下に「11」を置くと「介」となる。
「11」を手に持つと「火」となるので、「火男(ひょっとこ)」という。
この「11」を付けた人をヘブライでは「介」(やはうえ)という。
「阿吽」は文字を左から右へ読むことを意味しています。
逆に
右から左へ読み書きすると、
イスラム、イスラエル、チベットのようになります。
イスラエルは阿吽は正しいので、
そこまで不幸ではありませんが、争いが絶えません。
参拝者から見て左が阿となり右が「吽」となる。
人の魂は
この「阿吽」の組み合わせを見ると「無垢」になる。
「阿吽」とは「人の心」に「光」を召喚する「召喚陣」です。
「あ(阿)」、「ん(吽)」、「しん(神)」で、安心
「安心」とは「恙無い」事です。