日本における「情報化社会」とは何か・・・ No.1 清水 景允
私は毎週金曜日に街角に立ち、市民の方々と対話を通して、今、私たちの周りで起きている問題に付いて話し合ってきました。その中で、何時も感じることがあります。それは、私達は「科学」が世紀の救世主であるかの様にみているが、はたしてそれは本当だろうかと言うことです。そこで、今回、「情報化社会」とはどのような社会なのか・・・。この情報化社会のなかで私たちは「科学」とどのように接していったら良いかといいうことについて考えてみたいと思い特集を組みました。皆様のご意見をいただけると嬉しく思います。
2015年2月23日の北海道新聞朝刊の社説に「原発のごみ処分 国民不在の論議は疑問」と題して載っていました。この記事を読んで気がついたことがありました。それは、今の日本の人たちは、現代の科学が技術と結びついた「科学信仰」に全ての問題の起因があるのでないか・・・。と言う疑問です。
そもそも、「科学」は「学問」を意味するラテン語scientiaで、この中には神学も哲学も含まれていました。それが近世から近代にかけて「自然の克服」を目的として厳密な観測、仮説をテストする為の実験と言う発想法、更に数学的計算の技術にもとづく理論がつくられ、新しい学問の領域が拡大されていきました。さらに、この理論が「技術(technology)」と結びつき新しい道具、機械装置が作られ、これが人間社会を大きく変化させ、「人間は自然を克服した。それは『科学』のお陰である。」という科学信仰を生み出したのです。
・・・次回に続く・・・
私は毎週金曜日に街角に立ち、市民の方々と対話を通して、今、私たちの周りで起きている問題に付いて話し合ってきました。その中で、何時も感じることがあります。それは、私達は「科学」が世紀の救世主であるかの様にみているが、はたしてそれは本当だろうかと言うことです。そこで、今回、「情報化社会」とはどのような社会なのか・・・。この情報化社会のなかで私たちは「科学」とどのように接していったら良いかといいうことについて考えてみたいと思い特集を組みました。皆様のご意見をいただけると嬉しく思います。
2015年2月23日の北海道新聞朝刊の社説に「原発のごみ処分 国民不在の論議は疑問」と題して載っていました。この記事を読んで気がついたことがありました。それは、今の日本の人たちは、現代の科学が技術と結びついた「科学信仰」に全ての問題の起因があるのでないか・・・。と言う疑問です。
そもそも、「科学」は「学問」を意味するラテン語scientiaで、この中には神学も哲学も含まれていました。それが近世から近代にかけて「自然の克服」を目的として厳密な観測、仮説をテストする為の実験と言う発想法、更に数学的計算の技術にもとづく理論がつくられ、新しい学問の領域が拡大されていきました。さらに、この理論が「技術(technology)」と結びつき新しい道具、機械装置が作られ、これが人間社会を大きく変化させ、「人間は自然を克服した。それは『科学』のお陰である。」という科学信仰を生み出したのです。
・・・次回に続く・・・