退職後の信吾 4
               清水景允


 沢田先生は元奈良慶友会(慶応旭川クラブの様な慶応義塾大学通信教育課程の各地区の学生自治組織)の会長で慶応を卒業された、信吾の大先輩である岡田桂子氏と再婚し、葉山から東京都練馬区に転居していた。
 信吾は、開業の報告を兼ねて練馬区のマンションを訪問する。
例のピカソに似た風格で信吾を迎え入れてくれた。
先生の後方で桂子夫人が歓迎の言葉を投げかけてくれる・・・。

 先生は、日本科学哲学会会長を務めながら、1997年に講談社より「哲学の風景ーポスト・ヒューマニズムを目指して」を出版している。さらに2003年信吾が開業したその年に、慶応義塾大学出版会より「昭和の一哲学者ー戦争を生きぬいて」を出版し著作活躍をしているのである。その二冊の著書はサイン入りで信吾の手元に届いていた。

 その夜、信吾の開業祝いの宴を練馬の自宅で催してくれた。
話は、主に写真に関することであったが、他に興味ある話があった。
それは、老いに関する話である。

 この地球上の生き物は、人間を含めては誰しも年老いて行く。
その中で人間は、肉体細胞は脳細胞とは異なった衰え方をすると言うのである。
肉体細胞は、丁度、金属で出来ている機械の様に、使用しなければ錆が生じ使用できなくなる。反対に使いすぎれば疲労し壊れてしまう。
 だが、脳細胞は血液が滞る事がなければ常に活性化しようとしていると言うのである。しかし、脳細胞が活性化する為には条件が有る。それは、意識的に脳細胞に刺激を与えなければ成らない。例えば、ある事を考えているとする。この行為は脳細胞に刺激を与えることである。しかし、考えている、その行為が解決し、その後、習慣となってしまうと脳細胞に刺激を与えなくなる。従って、常に、新しいことにチャレンジする事が脳細胞に刺激を与えると、言うのである。 
 確かに信吾には思い当たるところがあった。
それは、新しいものを開発している時、時間を忘れて取組むのであるが、それが完成すると、次の開発するものが見つけられなければ苦痛になるのであった。

 次の日、沢田先生のもとを後にし、帰旭するのであった。