ママが亡くなりました。


その日はなんの前触れもなく突然でした。

覚悟はしていましたが

いざ、その連絡を受け取ると

頭が真っ白になりました。



それは母からの1通のメールでした。



何度か母から着信はあったのですが

仕事が忙しく、

折り返す事をしなかったその日の正午頃



その連絡メールは来たのです。




訃報はいつも突然です



ママというのはばーちゃんの愛称です。

享年86歳でした。



歌が大好きで、ママの家に行くと

いつも陽気な歌声が響いていました。



亡くなるここ数年は認知症と糖尿病の進行で

認知機能がかなり低下していて

もう孫である僕の事はわからない状況でした。





それでも、僕ら家族は下の子達を連れて

ママの家に行き、リハビリにもなるので

ボール遊びをします。




ママは小さい子が大好きだから連れて行くと

すごい笑顔で喜びます。


そんなママの旅立ち。

人はいつか死を迎えるものですが

いざその時が来ると胸が張り裂けそうになります。


僕は葬儀屋です。

5年前に葬儀を新潟市内で始めました。



コンセプトはお金をかけない心で送る葬儀です。

ホールもない、人件費も抱えない、

何も抱えない葬儀を実現し、地元の寺や自宅、

公共斎場を利用して

昔ながらの家族主導の葬儀を提案して来ました。




それは、葬儀に100万、200万、300万と

見栄で送る葬儀が横行しているからです。

それは既存葬儀屋が悪くて、

も知らない遺族に、

高額な葬儀が当たり前と提案しているから。




僕はその現実を変えたくて、低価格葬儀を中心として葬儀屋を始めることにしました。



当時はまだばーちゃんは元気でしたが、

『いつかその時が来たら自分の手でばーちゃんを送る』という想いはありました。



ただ、今回、孫として亡骸と対面するのか

葬儀屋と対面するのか、の狭間で苦しみました。



孫として対面したらきっと泣き崩れて

葬儀業務はできなくなるだろう。



しかし、葬儀屋としてママと対面したら

きっと涙も出ない冷たい孫として存在するだろう。



メールを受け取り、ママの自宅に向かう車中

ずっとそんな事を考えていました。



心の拠り所は僕の妻、でした。



葬儀事業を開始する時も、

いつも苦しい時や辛い時、

僕を側で支えてくれていました。



今回も助手席で彼女がこう言います。



『自分の葬儀を孫に任せることができるなんて

ママは幸せだよ』って。




僕はその言葉で孫として葬儀屋としてばーちゃんと対面できる決意ができました。



そしてママの自宅に到着した僕ら。



ママは長年利用していたフカフカの自宅ベットの上で安らかな顔をして眠っていました。



話しだと最後は誰に看取られる事なく、

たぶん前日の夜中の0時位と推測され

腎不全だそうです。



その日は全国的に急激に寒い1日でした。

暖冬と言われていた今年の冬でしたが

その日は本当に寒い日だったんです。



きっと寒がりのばーちゃんだから

寒さに耐えられなかったのかもしれません。



布団の中で、真っ暗な暗闇で

どんなことを考えながらこの世を去ったのか?

ベットに触れながらママの想いを想像します。



ママに傍には母がいました。



もうしばらく泣いていたのか、

目がパンパンに腫れ上がっています。



ママの布団に手を入れて

『まだ暖かいよ』って言います。



母はママの事を長年介護をしてました。

自宅で最後まで面倒を見ると決意して

ママを自宅介護していたのです。



部屋にあるポータブルトイレには

根気よく1時間も2時間も付き合ったり

車椅子のママの身体を動かすと痛いと逆切れされてモノを投げられても

母は笑顔で介護と向き合っていました。




仕事と介護の生活は過酷を極めました。

それでも約5年、母はけして愚痴は言わず

ママの介護をやり遂げました。




僕はそんな母を見て、

気丈に振る舞うしかありませんでした。



『これからママにドライアイスを当てるからね』



まだ暖かく、寒がりだったママに

ドライアイスをあてる



これが葬儀屋として、孫として、

ママにしなければいけない事です。


本当に心が張り裂けそうになりました。

隣で母と姉が『ドライアイスなんて可愛そう』と泣いています。




でも僕は涙は出ませんでした。




冷静になれ。

冷静になれ。



そう自分に言い聞かせながら

僕は無情になり、まだ暖かいママの身体に

ドライアイスをあてていきました



孫として過去の想い出に触れる前に

やるべきことがあるから。


泣くのはいつでもできるから

今、やるべきことをやろうと。





そう決めていたので

葬儀屋としての業務を粛々と行いました。

悲しさをぐっと堪えて、

ママの処置が無事に終わる頃、、、



ピンポーン。。。



そのすぐ後に

親戚の方々がママの顔を見に来てくれました。



ママの亡骸のそばで手を合わせて早々に

葬儀はどうするんだ?と話しが始まりました。




続きは次回のブログで!合掌