ばーちゃんに手を合わせた後





一同は1つの部屋に集められて、

話し合いの始まりです。




ここは典型的な田舎の部落。



集落のしきたりや見栄、風習を大事にしろと

年寄り達がこぞって言ってくる地域です




喪主であるじーちゃん(愛称パパ)92歳。



頭はしっかりしてますが、耳も遠くママの突然の死去に頭がまわっていない様子です。



そんな状況をつくように

親戚が好き勝手な事を言います。



『安い葬儀なんてだめだ!』

『ちゃんとしたセレモニーホールで式をあげろ』『地元の葬儀屋が1番安心だ!』



言いたい放題です。



僕は内心思います。

『今までママの顔も見にこなかった人達が

葬儀になってなんで急に仕切りだしてんだよ。

葬儀をどうするかはうちら家族が決めるもんだろ』って。でも






パパの顔を潰さないようにと思い、

ぐっと何も言わず我慢してました。



しばらくすると

親戚が勝手に地元の葬儀屋を

家に呼んでいました。


その葬儀屋は、到着するなり

ママの様子を見に来て

いきなり布団をめくりこう言います。



『あ、ドライアイスはあてたんですね』

・・・・。


手も合わせず、表情を伺う事なく、

遺族として彼らの対応に怒りを覚えました。



魂は身体を離れ、僕らを見ている。



僕らの想いは必ず伝わる。



僕は過去に担当した葬儀は全て、

必ず故人様に声を出して

ご挨拶するようにしていました。




それがせめてもの供養と

故人様の尊厳を守る行為として

重じてきたんです。



しかし、この地元の葬儀屋は違いました。

故人の尊厳を守ろうとしないし、

ばーちゃんの心の声を聞こうともしない。



長年の歴史がある地元に根付いた葬儀屋とは言え、僕は彼らに葬儀をお願いしたいと思えませんでした。




そのあと、葬儀屋を交えての話し合いは始まりました。地元葬儀屋は一生懸命、うちのじーちゃんに費用の説明をしていました。




総額100万は余裕で超える内容でした。



『ママの葬儀をどのようにしたいか?』などの

ヒアリングは全くありませんでした。



実は親戚達はこの葬儀屋と知り合いのようで

悩んでるじーちゃんに『ここに決めれば?』とクロージングをかけてきます。


いや、おいおい。



僕は今までずっと黙っていたが、

もう我慢の限界がきました。




『ママはもう安らかに

自分のベットで休んでいる。



今ここで急いで葬儀を

どうするかを決める必要はあるのか?


パパ、


一旦話しを預かり、

別の部屋で家族だけでどうするかを決めよう』



僕がそういうとパパは少し黙り込み、


『そうだな。

せっかく来てもらったのに申し訳ないですが、

一旦預からせてくれませんか?』と



そう言って葬儀屋を帰したのです。



そしてうるさい親戚の前でも

話しが進展しないので、




別の部屋へ移動し、

家族だけで葬儀をどうするかを

話し合う事にしたんです。



『俺たちなら100万もしない。

その3分の1以下の費用でできるよ。



少しばかりやってもらう事は増えるかもだけど

パパの要望、家族の要望は全て叶えるし

みんなで送るお金ではない葬儀をあげない?』



そう伝え


僕らがやっている葬儀のパンフレットを見せて

お金をかけない家族主導の家族葬をあげる事になりました。



葬儀はお金ではない。



もちろん、風習やしきたり

代々伝わる習わしを守るのも大切なこと。



しかし、一番は残された家族が残りの人生で

故人を心に想いながら生きていける環境を作ること


お金の負担があったり

見栄ばかりの葬儀をあげて

あとで苦しくなるなら


お金をかけない心で送る葬儀をするべきだと

僕は確信しています。それでは、また本日も最後まで読んでくれてありがとうございます。合掌