ホッとカフェ 6月17日(月)

 

来店者3名  スタッフ4名

                                                                     

今回の学習テーマは地元「くずは」にまつわるお話。

 

Y氏が要点をまとめた資料を用意してくださり、まずは歴史の勉強から始まりました。

 

みなさん常日頃どうなんやろ?と思いつつ特に追及していなかった「くずは」の漢字表記について。

 

実は「樟葉」「楠葉」「葛葉」!!

(これは、今は見当たらないが)

とあり、あぁだ、こうだ言いながらみんなでまとめてみたのが以下。

 

「樟葉」:京阪の駅名、小学校名(樟葉小、樟葉北小、樟葉西小、樟葉南小)

「楠葉」:地名(町楠葉、楠葉野田)、中学校名(楠葉中、楠葉西中)、

 

古くは継体天皇を奉った「樟葉宮」が今もあるし・・

明治22年「くずは村」「船橋村」なども別の資料にあった。

 

このあたりが地名のはじまりか?

 

ところがYさんの用意してくれた資料の次ページには

 

もっと古い古事記や日本書紀にある記述も紹介されていた

長くなるので簡単に紹介すると朝廷に反乱を起こした山城の豪族が敗走する先で

 

恐怖のあまり便失禁し

 

褌が屎で汚れて、屎袴(くそばかま)→久須婆(くすば)→楠葉(くずは)

 

となったと古事記に書かれている。(ほんまかいな・・・)

 

あとはこの反乱の敗走ルートに出てくる

奈良街道、伊賀街道、井関川、山田川、木津川、高野街道(楠葉エリアに高野道の地名があるね)

 

等々

現在のルートに当てはめると・・・

地図をながめながら話さないとわかりませんね。

次の機会に・・・・

 

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楠葉の地名の由来としては、ほかにも古事記から「ニギハヤヒノ尊」が枚方の地に降り立った時

 

ここを支配していた楠一族が、「楠の磐船」を提供し、

河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)

 

まで案内したという記述もあるみたいです。

 

古代は支配する地域を「庭(ニワ)と」称していたらしく

 

楠の庭→クスニワ→クズハとなったとか・・

 

その後、楠族は戦に敗れ散り々々となったが、

 

主力は南河内へ逃れ、後に「楠木正成」集団として物流を担い、南朝へ味方したが敗退した。

 

との説もありますが、文献は無いので???です

 

一方、楠葉地区では残党が密かに隠れた後、後世に「楠」を改姓し「木南」と名乗り、現在の「木南さん」はその末裔と言われている・・

 

との説もあります。

 

くらわんか街道の「塩熊商店」の姓は木南さんで

江戸時代から物流を取り仕切ってたと言われており

 

脈々とつながっているのかもしれません。

 

ちなみに、「ちょこっと」のご近所にも木南さんがおられます。

 

追記(T)

 

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本日の茶菓子 : 暑かったのでシューアイス

         おかき(新潟仕込み 塩味 三幸製菓)

         Sさんから韓国土産のクッキー

         ルイボスティー、コーヒー