明神男坂 大公孫樹(おおいちょう)
仕事でお茶の水に行った際、帰りに神田明神に
よりました。 その際にこの大公孫樹をみかけました。
案内にはこのように書かれています。
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明神男坂大公孫樹(おおいちょう)
この公孫樹は、向い側の男坂解説にもあるとおり江戸の昔より
この地に育ちました由緒ある樹木です。
大正時代、関東大震災により社殿をはじめ神社の諸施設がことごとく
炎上し崩壊したなか、この焼け跡に唯一残されたのがこの公孫樹でした。
震災で焼け残った公孫樹からひとばえが生え育ち、その後、昭和20年の
東京大空襲による油脂焼夷弾が東京一帯を襲いましたが、昭和9年建立の
鉄筋コンクリート造・総漆塗の社殿は当時としては日本初の耐火耐震構造を
持つ神社建築であったため焼失を免れました(国登録文化財・文化庁)。
その一方、ひとばえは被災の憂き目にあったにもかかわらず立派な
樹木となり親木をささえることとなりました。
この度、親木のほうは枯木につき倒木危険防止のため上部を伐採し保存
することといたしました。
江戸時代、月見の名所に植えられた公孫樹は、対象・昭和の災害にも
遭遇しながらも子孫を残し、この地の歴史を伝えてきた大切なご神木
と言えます。
災難除け・厄除け・縁結びのご神徳を持ち長い間この地を見守ってきた
ご神木として、今後とも後世にお伝えいたします。
ひとばえの生育が後世までも受け継がれてゆくことを心より願うものであります。
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案内にはこう書かれています。
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明神男坂
この坂を明神男坂といいます。明神石坂ともいいます。
『神田文化史』には「天保の初年当時神田の町火消『い』
『よ』『は』『萬』の四組が石坂を明神へ献納した」
と男坂の由来が帰されています。
この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺りから江戸へ
やってくる漁師の目標になったという話や、坂から眺め
が良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が
行われたことでも有名です。
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神田明神に行く機会がある方はこちらも見学してはいかがでしょう。
見応え度:★☆☆☆☆




