人見四郎の墓跡 浅間山
人見四郎の墓跡は府中市の浅間山公園内にあります。
(東京都府中市浅間町四丁目、若松町五丁目)
石碑は新しいので、当時はここに人見四郎の墓が
あったのでしょうか? 石碑にはこう書かれています。
人見四郎の墓跡
ここは鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士
人見四郎の墓跡と伝えられる。
もうちょっと情報が欲しいところです・・・・・・
ググってもあまり人見四郎の情報はありません。
どうやら人見四郎という人物は2人いるらしく、
ひとりは源平時代に一の谷に参戦した人見四郎。
もうひとりは鎌倉時代末期に幕府方として参戦した子孫の人見四郎。
当然、ここの人見四郎は鎌倉時代末期の人見四郎となるかと思います。
太平記では鎌倉方として河内の赤坂城の合戦で、
七十三才の老齢の身に死に場を求め、総攻撃の前夜に
抜け駆けを決行し、壮絶な最期を遂げたそうです。
なぜ、ここに墓跡があるかというと、
墓は実物はなく伝承地とされているそうです。
石碑が向く方向は特に見晴らしが言い訳でもありません・・・・
公園内はこんな感じの自然林が続いています。
かなり落ち着いた良い公園です。
ちなみに
埼玉県榛沢(はんざわ)郡(現深谷市)人見郷が本拠で、
そちらにも墓があるそうです。
あと、群馬県松井田町人見に人見城があるそうです。
結構、幅広い活躍をしてたみたいですね。
この浅間山公園内には浅間山があり、その頂上には
案内板を読むとこう書かれています。
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浅間山(せんげんやま)
浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、
その名は堂山の頂に祀られている浅間神社に由来します。
海抜80メートルで、周囲との高さの差は30メートルに
過ぎませんが、周囲にさえぎるものがないため、眺望は
なかなか良好です。
この浅間山は、地質的にみると、多摩川対岸の多摩丘陵と
同じで、古多摩川やその他の河川により周囲がけずり取られ、
ここだけが孤立丘として残ったものと考えられています。
また、浅間山を中心に、その周辺に広がる人見ケ原の地は、
かつて南北朝時代の正平七年(1352)、足利尊氏と新田義興・
義宗兄弟の軍が両朝の運命をかけてたたかった古戦場であり、
都の旧跡に指定されています。
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人見四郎の墓跡の見応え度:★☆☆☆☆
浅間神社とセットなら:★★★☆☆






