彰義隊の墓
上野公園にある彰義隊の墓です。
(西郷隆盛像のすぐ後方にあります。)
墓の前にある柵には「義」の文字が!
(なかなか迫力があります)
説明にはこう書いてあります。
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十五代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった
小川興郷らは、慶応四年(1868年)、大政奉還をして上野寛永時に
蟄居した慶喜の除名嘆願のために同士をつのった。
そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、
変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、
やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。
旧暦五月十五日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で
彰義隊を壊滅させた。
生き残った小川ら隊士は、明治七年(1874年)にようやく新政府の
許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に
彰義隊戦士の墓を建立した。
なお、遺体の一部は南千住円通寺に合葬されている。
以後、百二十年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。
現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。
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実は勉強不足であまり彰義隊のことは知りませんでした・・
よく原田左之助が加わった話を聞いたりしますが、
これは本当なのでしょうか?
幕臣贔屓の私としてはもっと勉強しておきたい題材です。
見応え度:★★★☆☆

