小机城址
小机城は、永享の乱(1438年 - 39年)の頃に
関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、
正確な情報は分かっていないみたいです。
現在は小机城址市民の森(神奈川県横浜市港北区小机町)
として公園化されています。
この城が歴史的に登場するのは、1478年(文明10年)に
起きた攻守戦だそうです。
山内上杉家の家宰であった長尾景春が、
父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、
主家に対する反乱を起こした。
このとき敵方の太田道灌がこの城の攻め陥とし、一時廃城とさせた。
この時、道灌は近くの集落の松の大木の下に腰掛け、
「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」
と歌を詠んで味方を鼓舞したとか
その後、この地域が後北条氏の勢力下に入ると、
北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、
小机衆が組織された。
その後、城主は北条氏堯、北条氏光と替わっている。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原の役の際には、無傷のまま落城。
徳川家康の関東入府のとき、廃城とされた。
空堀をのぞきます。 結構深さがあります。
空堀の底には案内がありました。
結構要所要所で案内があって助かります。
これはその時はなんだかわからなかったのですが、
櫓台から二の丸を見下ろします。
二の丸
こちらは二の丸と本丸の間にある空堀です。
二の丸の人といい空堀にある白い袋に入れてある
切られた竹といいなんだろうと思っていたら、実は
「竹灯篭まつり」の準備でした。
(ここに訪問したのは2010/10/24です。今日が祭り当日
なのですが、この台風じゃきっと中止だろうな)
話はもどってここは本丸入口
模擬冠木門の横には「小机城址」の碑があります。
模擬冠木門をくぐり、広場側からの景色
本丸は今は野球が出来そうな広場です。
第三京浜が小机城を横切っているので、
富士仙元側から本丸方面を望みます。
比較的近場でこんなにみごたえのある城跡が
あったなんて、もっと早く来るべきでした。
ここら辺の城跡では一番のお勧めではないでしょうか?
見応え度:★★★★☆

















