卒業って聞いて、
ブレクロ引退かっ!?、と思った方。
やった^ー^ウザいヤツいなくなる♪、と思った方。
残念ですが違います。
失いたくないフレさん達との繋がりがあるのでやめまてん。
嫌がられてもやめまてん。(`・ω・´
最近、卒業という単語をよく聞く気がするので、感慨にふけることが増えました。
卒業する、って実はなんでもないことなんですよね。その出来事自体は。
「業」をどう捉えるかも議論すべきなのでしょうが、まぁ、そこは割愛します。
なにか続けていたことがあって、それをやめること。おわること。
なにかが終わるということは、なにかを失うことですよね。
「業」がいいことなら悲しい。「業」がわるいことなら嬉しい。ケースバイケースですね。
最近よく聞く「卒業」。
だいたい学校の卒業が多いです。
教育の義務から解放される意味合いなのでしょうかね。
「おめでとう」という言葉が飛び交う気がします。
別におめでたくないわw
といいたくなる人もいるでしょうね。
友だちとも離れ離れになるし。
少し話がそれますが、誕生日おめでとう、の「おめでとう」も同じ感覚ですよね。
これはこれで、おめでたい理由があるのですよね。
「おめでたい≠うれしい、楽しい」ではないことと併せて別の機会に議論しましょうか。
今回は別の観点から。
学校の卒業がおめでたい理由は
学業という「計画されていたタスク」が無事終えたことへの節目を立てるということですかね。
結局、何かを終えるということは、その何かをしてきたということで。
その経緯、経験から何か得られたはずであり、
その効果の大小や実感できるできないはあるとはいえ、
人としての成長があるはずですよね。
成長といっても、他人からみて内容の良し悪しはあると思いますけどね。
何かしら成長してるはずです。
学業の卒業を節目として盛大に祝うのは、
・自身が学業を通じて得たものを見返る機会が重要であること
・その後、社会としての役割が大きく変わることを実感させること
という狙いがある気がします。
成人式というのも同じ感じですかね。これについても議論は別の機会ですね。
卒業すると、環境とか外面の要素も大きく変わることになります。
これは本人がどう思おうと勝手に変わることで、順応させていくしかないわけですが。。。
それに応じて人の内面の変化もあると思うし、変化させる準備も必要なんだと思います。
これは本人が変えようとしないと変わらないですしね。
順応できない人はストレスとなって色々しんどくなっちゃいます。
ここにも成長が見え隠れしますね。
ふむ。
あえて結論的なものを出さずに次々と意見を出してきましたが。
結論はあれです。
だいぶ説教みたいになりますが、、、
卒業というのは自身が大きく成長するいい機会なので、そのことを意識してみてください。と。
卒業すること自体はただの節目でしかありませんが、そこから大きく変わることはたくさんあります。
徐々に変えていかなくてはいけないことなど、気づいたことがあれば、変わる準備をしっかりしてくださいね。
卒業がおめでたいのは何でだろう?という問いかけに答えが出せるよう、しっかり考えてみてください。