1年前の今日、3月11日。
14時46分
日本人にとって忘れる事の出来ないことが起こりました。
久々のお休み。
連日の睡眠不足を解消するかのように眠ってました。
今まで体験したことのない大きな揺れで目を覚まし
携帯と水のボトルを掴み、揺れる階段を駆け下りて、コートを羽織って、すぐ外へ。
その日、母と姉は定期健診で病院に行っていて家にはあたし一人。
近くの公園で携帯を何度も何度もかけ直して、ようやく姉に連絡が取れ、
二人が無事だと解り、帰りを待つ間一人が心細くて、
まだ余震の続く中、近くのファミレスへ。
どこがどうなってるのか全く理解出来ていなかったので携帯でテレビをつけると
そこには今まで見たことのない恐ろしい光景が。
次々に水に、波に飲み込まれていく町。
慌てて注意を呼びかけるアナウンサー。
画面下には日本全体を包むように点滅する大津波警報。
体中の震えが止まらず、画面の中の出来事から目を背ける事も出来ず
何が起こってるのか理解したくても出来ず、ただ恐怖と戦うだけの時間。
あたしが子供の頃から今も一緒に住んでるM。
そのMの実家は岩手の山田町。
母と姉と合流後、Mとも合流出来たけど、両親に連絡が取れないと泣きじゃくるMを前に
みんなで必死になってMの家族に連絡をしても繋がるはずもなく。
津波に飲まれた両親の遺体が見つかったと連絡が来たのは、それから数日後でした。
あれから1年。
津波に飲まれたり、大地震の恐怖を味わったり、
世界が終わる夢を頻繁に見るようになりました。
それは今でも続いていて、1年経った今でも、あの日の恐怖は忘れらないでいます。
関東に住むあたしでさえこんな状態なのに、実際に被災された方の事を思うと
本当に胸が苦しくなります。
この1年、どんな想いで過ごしたのだろうと。
そして、こんな状況でも前へ進もうとしてる。
被災された人達も、そうじゃない人達も、それぞれが、それぞれの想いを抱えて
一生懸命、今を生きてる。
人間は愚かかもしれないけど、弱くなんかない。
あの恐怖と悲しみが癒える日が来るかなんて誰にもわからない、
復興にも時間がかかる、原発の問題だって何も解決していないけど、
それでも生きていく。
生きる意味なんてわからなくても
生かされてる事に感謝して。
あの日奪われた、沢山の尊い命を背負って
私達は光へ向かって生きているんだから。