前の記事にて
逸見光長が双子ではないことの他で
私が調べた光長の記録について
ネットで調べればある程度は出てきますが
父親は逸見冠者源清光
大治3年(1128年)8月15日の巳刻(午前10時の前後2時間)
に誕生しています。(なお、信義は午刻(昼12時前後)に誕生)
死去した日時は不明となっています。
弟である八代の系図では、
治承4年(1180年)10月22日卒55
諡光貴院殿長山道栄との記載がありますが真偽は不明です。
光長の上総介任命が文治元年(1185年)であることから
そこまでは存命していたのではないかと思います。
2019年11月に北杜市の逸見神社(へみ)へ伺った際、
宮司さんより光長は弟の信義に殺害されたとのお話を
お聞きしました。
父の清光から逸見荘や谷戸城を相続していることから、
光長は当時の甲斐源氏の惣領であったと考えられます。
甲斐源氏の惣領を奪うため、信義が殺害したとしても
不思議ではないことだと思います。
とりあえず、今回はここまで