家族がコロナにかかるということ⑫終 | しまこの毎度、おおきに~

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大阪出身。愛知県の知多半島在住21年目。
私「しまこ」
旦那「しまおさん」
社会人4年目の娘「こしま」
3人家族の日々をのんびり綴ります。
大阪の実家の小豆柴「こいも」も度々、登場。

父がコロナに感染

C病院で療養中

 

 

〈父の入転院の流れ〉

もともと入院していた病院

     ↓

A病院(5日間)

     ↓  

B病院(21日間)

     ↓

大阪コロナ重症センター(6日間)

     ↓

C病院(現在療養中)

 

 

人工呼吸器装着3回、離脱3回。

 

 

この期間、直接・間接含め、父にはおそらく100人近い人たちが関わってくれたのではないかと思う。

 

 

これまでの医療の常識では、大半の傷病者は1ヶ所の病院で治療を済ます。

しかし、コロナは違う。

増え続ける感染者の病床を確保するために、患者の状態をトリアージし、適時適所に移動させる必要があるからだ。

そして治療はもちろん、家族への定期報告、入転院の調整など、医療従事者の業務量は想像を絶する。

 

 

ひっ迫する医療、足りない病床。

防護服に身を包み、ほぼ不眠不休で治療にあたるドクターや看護師さんたち。

家族が大切な人の死をそばで看取ることができず、触れることもできない、コロナの特異な現場。

 

 

ベルトコンベアーのように流れていく「生」と「死」。

 

 

そんな過酷な状況にもかかわらず、医療従事者の方たちは私たち家族にたくさんの“思いやり”と“気遣い”を届けてくれた。

それがどんなに母や妹の心を救ってくれたことか。

 

 

父はまだまだ療養中で、今後急変することがあるかもしれない。

ダメージを負った肺は、どこまで生きる力をもっているかも分からない。

けれど、今を生きている。

 

 

父のコロナ治療中のCT画像などは、それぞれの病院でCDに記録され(転院時のスムーズな情報受け渡しの為と思われる)家族にも手渡されている。

これも知らなかったことのひとつだ。

 

 

今回の父のコロナウイルス感染。

高齢の父はいつ医療から見放されてもおかしくないと覚悟していた。

けれど、現場には「生」を諦めない人達がいてくれた。

日本の医療は尊い。

心から感謝を伝えたい。

ありがとうございました。

 

 

 

さて。

今日で一旦、父のコロナウイルス感染に関する記事は終了とさせていただきます。

今、日本は、そして私が住む愛知も、変異株による感染拡大で本来の医療を提供できない事態になりつつあります。

それは医療従事者の方たちにとって悔しく、苦しいことだと思うのです。

 

 

今後ワクチン接種が進み、状況は改善されていくとは思います。

だからそれまでは、私達が感染者減少を目指し、それぞれが思いやりをもった行動でがんばりましょうニコ

 

 

現在治療中の方々のご回復を祈るとともに、ブログを読んでくださったみなさまに感謝申し上げます。

 

 

明日からはブログも通常モードでいきますよー

ではビックリマークバイバイ