無事にささやかに終えることができました。

 

妹の遺言にてささやかに…で姉である自分と母の二人のみでした。

 

葬儀も通夜も、最後は力尽きた妹の目が閉じれなかった為に

 

母が他の人に見せたくないとの事で私も同じく思い

 

「まだ若いから弱っていく姿を見られたくない」

 

で近所の方にも闘病を隠し通夜・葬儀も見守ってもらうのみで。

 

そんな妹が唯一、闘病について心から弱音を吐けたのが

 

ツイッターやこのブログでした。

 

弱っても、弱ればこそ家族にも吐けなかった本音・弱音を

 

ここに吐き出して受け止めて貰っていました。

 

妹が生きている生前は存在は教えて貰っても

 

ブログもツイッターも姉に見せてくれませんでした。

 

亡くなって「みんな報告をして欲しい」と言われ

 

初めてツイッターをさわり、ここのブログを更新しました。

 

妹が亡くなる直前まで使っていた花の香水やスライムのクッション。

 

他にも色々な物がどれだけ亡くなる妹の支えになったものか…。

 

腹水でお腹がパンパンで水も辛いあの子が

 

「貰ったんだよ」と大好物の海鮮を頂き、ほんの一口だけでも食べる事が

 

どれだけの幸せだったか。

 

初盆にて、いまだあらためてお供えを下さった方に

 

この場を借りてお礼申し上げます。

 

母がとても喜んでおりました。

 

妹が亡くなった当時は心神喪失状態で原付きで事故をしたり

 

私だけでは妹の代わりにはならない所に、いまだに妹への温かいお気持ちにて

 

妹だけでなく母や私も救われました。

 

ご本人様方への返信は不要とのお心遣いでしたので

 

この場を借りてお礼申し上げます。

 

私達もはやく癌に効果的な治療ができる事と

 

自らの癌検診や健康に気をつけていきたいと思います。

 

どうか皆様もご自愛下さい、それこそが妹からのメッセージです。

 

ありがとうございました。

 

あれからツイッターおよび、こちらでの温かいお言葉や仏前へのお供え、ありがとうございます。

 

どう、お返しすればいいのか、どれだけ妹を含め私達家族まで救われたか言葉にできません。

 

せめて、妹がネットにて「せめて少しでも自分の病が他の方の役に立てば」の気持ちを受け継ぎ

 

ここに、妹が亡くなる寸前までの妹自身がメモしていた日常の状態のライン画像を乗せます。

 

最後の記載の20日頃から危篤となり意識朦朧の中で、何度も心臓の不整脈の中でも31日まで頑張りました。

 

発症し、手術し、そして抗がん剤からの全摘による副作用との長い戦いの末に腹膜播種にて死亡しました。

 

生きたくて生きたくて頑張った妹も、何度も挫けそうになりました。

 

それでも姿さえ見えない皆様を支えにがんばれた私達です。

 

今、死にたいと思うことも多々あると思います。

 

そんな時は生きたくても生きれなかった命があった事

 

それでも必死で苦痛の中苦しみながらも生きたいと願った命があった事を

 

思い出して下さい。

 

生きてさえいればなんとかなる、それが妹の言葉です。

 

そして私との最後の会話は

 

「悔いはないが、それでも少しは生きたかった」です。

 

どうか皆様もお体をご自愛下さい。

 

そしてあらためて、この場をかりてありがとうございました。

 

追伸・妹宛に仏前のお供え有難うございました。

 

この場を借りてのお礼となり申し訳ありません。

 

 

生前は妹を支えてくださった方々にご報告させて頂きます。

 

本日12時半頃に妹は病院にて息を引き取りました。

 

思えば5年ほどまえの胃がん発覚から、妹は胃を全摘して

 

抗がん剤にも励み、どれだけフラフラになっても最後まで頑張りました。

 

本日も朝にはまだ意識もあったそうです。

 

既に今月の20日頃から状態が悪化して在宅にて看取りの危篤状態となっていました。

 

一時は意識も朦朧となり言葉も発せず心臓も雑音が出て脈もはかれない程に

 

なりました。血圧も40程度で体温も低下、尿も出ず、水分すら嚥下できず

 

何度も訪問医師や看護士から「今日か明日」と言われながら頑張りました。

 

常に痛みと不眠を訴える妹、水分がとれなくても薬を飲むために嚥下を頑張り

 

既に体重も30キロを切り血管に注射も不可能となり貼るテープでの痛み止め。

 

指先で薬をつまむことができなくても必死で薬を飲み、一人で座ることが

 

できなくても、私達家族が支えて座ってテレビの音を楽しみました。

 

苦しみが続くことが彼女の苦痛とわかっていても、それでも私達は側にいて欲しい気持ちと

 

痛みがなくなるようにはやく逝った方がいい気持ちがありました。

 

私や母で支えた一週間程度の時間、私達にとっては宝物の時間でした。

 

そして私達の疲労も理解している妹の優しさや、在宅介護での緩和の限界にて

 

本人の希望により29日の日曜日に病院に緊急搬送となりました。

 

そして31日の本日に病院より連絡があり、コロナでの付き添い看取りはできませんでしたが

 

それでも個室に特例で妹を移動して貰い亡くなってすぐの妹と対面する事ができました。

 

食べる事が昔から大好きだった妹は、胃を全摘してからも必死で少しでも食べる努力を続けました。

 

衣装ケース一杯のお菓子や飲料、食料を見て、きっと食べたかったんだなと

 

それをみて頑張ってたんだなと。

 

改めて闘病中はよく「みんなに応援して貰っている」と教えて貰ってました。

 

本当にありがとうございました。

 

どうか皆さんもお体にお気をつけ下さい。

 

妹の支えになってくれてありがとうございました。

 

なんてない話の最後に

(ブログが終わるわけではないよ!この後は普通に続けるよ)



  感謝


きっと明日はいつもの私だから言えないと思うから


言える時に!



ブログを見てくれる皆

Twitterで繋がってる皆

支えてくれる周りの人

ううん

私と繋がってくれてる皆!


ありがとう


伝えきれないぐらい感謝してます


大好きです!



最近幸せで怖いし

こんなことブログで書いたら明日死ぬのか?とか自分でも怖いけどw


何回も言う


伝えれる時に伝えれるうちにいっぱい!



大好き!ありがとう!



きっとこれにコメントくれても返事はできないけど

(やらなきゃいけない事がいっぱいだったり、恥ずかしいとか、頭動かないとか色々な理由で)


見れるときだけだけど

いいねとかコメントちゃんと見てます!

ブログもいいねもコメントもできないけど見させてもらったりしてます

伝えられないけどこっそり応援してたりします



コメント書く余裕がなかったり

内容的になんて書いて、どう伝えていいか悩んで結果書き込めずいいねだけになったりしますが

 (;•̀ω•́)


それわかる!同意!一緒に頑張ろう!

確認したよ!コメントありがとう!

みたいな感じでいいね、だけの時もあります




ありがとうございます!



  感情大爆発


夕飯に調子にのり牛タン厚切りを1枚食べる

小さく切って、ゆっくり食べたけど

量が多いのか?固いからから?お肉だから?早すぎたのか詰まって口から体の中の分が溢れ

食べたいのに食べれなくなり

途中で詰まってる残りがあるのに

吐いても吐いてもあと少しがなかなか出てこない

水を中に無理やり流し込み吐き出してやっと出て少しだけ落ち着いたと思ったら


体が動けないのに便意の腹痛


なんとかトイレから戻ってきたら

次は

ダンピングなのか具合も悪くなり

さらにいつもの背中、腰、お尻が悶えるぐらい痛いのがくる

そこにトイレ後の脱力感や冷えもはいり

暑いのか寒いのか、痛いのか辛いのか苦しいのかわからない

思考も動かない


これに効くのかわからないが少しでも楽になるようになんとかオキノームを飲み

母の前で痛くてうずくまり具合が良くなるのを待つ


あまりにも痛くて背中をさすってもらってたら


涙がポロリ

止まらなくって、どんどん溢れてきて

号泣


何かが気持ちの中からポロリと取れると同時に


痛い!辛い!悔しい!怖い!

どうしていいかわからへん

余裕なくてキツイ言い方してる自分が嫌

痛いのに耐えられない自分が嫌

痛み止めキツくなるの怖い嫌だ!

自分が自分でなくなるのが怖い

理性がなくなって自分がでてくるのが怖い!

嫌な思いさせたくない

こんな自分になるの怖いいいいい!!

迷惑かけたくないよぉ



思ってたこと、言わないようにしてた、黙ってた事を次々と口からもれて言葉にしてしまう

 (´;ω;`)


今までは自分の中で処理できてたもの

しだいに口から漏れるようになる

自分をコントロールして落ち着くようになるまでの時間

どんどんその時間が長くかかってるのがわかる


どんどん自分が剥がれる?こわれてく怖い


今日は気持ちを落ち着けて、いつもの自分になるのに5分かかった

今日はまだ、このままだと過呼吸になるし、このまま泣いてたら水分がやばい、母の寝る時間も遅くなる

時間見たり

早く治めないとって余裕?があったけど

この余裕もどんどんなくなっていくのは理解できる


だからこそ怖い



そのあと、気持ちも涙もダンピングらしきものも

痛み止めが効いたのか爆発したのが効いたのか?落ち着いてくる



落ち着いてみると


なんか

心にでっかい穴が空いたみたいになってる

大切なものがなくなった感じ



いつもなら母に絶対言わない我儘

言わないようにしてる


母がタブレット見てると寂しい

(一旦集中型なので何かしてると周りを見ない、耳も遠いし、片耳にイヤホンさすので声かけても気づかない)


一緒にテレビ見てほしい

(いつもは母がテレビをつけたのに自分はタブレットを見て、テレビは流しっぱなし)


とお願いする


恥ずかしい

(*ノωノ)ポッ


一緒に同じ番組を見て、これ美味しそう!とかちょっとした感想を言うだけだけど


それだけの事なのに

私の中

幸せで心の穴が埋まっていくの


すっごい速さでw

殻のコップにすごい速さで水が入るの!!

満たされていくの!!

まさに急速充電!カラカラの土に水!


そしたら急に

自分の中に昔の小さい自分が出てきて

あ、私ずっと寂しかったんだ

って感じた


母子家庭だけど

母1人で頑張って私と姉を育ててくれて

恵まれた状態で育ったし

衣食住揃ってるし、姉もいるし

放置されてるわけでもない

いっぱいかまってもらった

私は幸せやぁって

ずっと思ってた


実際、親に酷いことされてる子もいるし

ご飯食べれない子も、ひとりぼっちの子もいる


父親のことは覚えてないから何も思わないし

母の事大好きやし

姉もいてくれたし

本気で自分は恵まれてたと思う



でも

やっぱり?ずっと寂しかったのかな?

寂しいと思ったらダメ、迷惑かけちゃダメ

十分してもらってるんだからわがまま言っちゃダメ

負担になりたくないし

私は大丈夫、幸せ!満足!

そんな感じ


それが

ある日、いきなり覚醒?目覚める?


39歳

母の日のこんな瞬間に

やっと自覚する


寂しかった



そういえば病気になってからは

限界になったら痛いとか体調とかは言うようになったけど

(前は痛くても我慢、言わない)


私がどう思ってるとか、こんな考え方してるとか

当たり前のこと?気持ちや考え方は言わないし、言っても簡単に言うから伝えきれてないなっと今更気づく



伝えれる時に

具合が悪いのおさまってきて時間もまだある

伝えれるタイミングがある今なら

口も動くし、気持ち的にも話せる


今なら言える


母に今伝えれることを全部伝えてみる

今までみたいに相手が嫌がらないように丁寧にとか理解できるようにとか考えず

ここに書いたように思いつくままに気持ちを全部


愛してる、大好きをもっと伝えたい

いつもありがとうが言い足りなくて伝えきれなくて辛い

言葉選ぶ余裕がなくていつもキツイ言い方してごめん

嫌な気分にさせる時間が増えてごめん

私が壊れていくの怖い

酷いこと言ったり、イラついたり、醜い自分を見せたくない

こんな酷い自分これが自分の本性なのかと思ったら怖い

おねえちゃんにもきつい言い方して、邪険にあつかったりしてるみたいになって申し訳ない

私が姉を嫌いだと思ってたらどうしよう

嫌な気分にいっぱいさせて申し訳ない

姉のことも愛してる大好き


愛してる、だからこそ嫌いにならないで、満たされてるはずなのに寂しかったの


今ね、自分の中に昔の自分がいて、その子の分まで?寂しさが満たされていってる


寂しいって感じてごめん

頑張って育ててくれてありがとう


今、一緒にいて私も、昔の私も幸せで満たされてる

幸せが満ち溢れてて怖い

泣いてごめん

困らせてごめん大好き大好きだよ

いつもありがとう


今まで言ったら迷惑になると思ってたこと全部伝える


そんな私を

壊れてないよって抱きしめてくれてありがとう

いつも受け入れてくれて愛してくれてありがとう

ごめんよ大好き



姉にも伝えれる時に伝えておかないと

時間的にも遅いし

直接姉に言いに行くのはあれなので

LINEで姉にも

きつい言い方してごめん、嫌いなわけじゃないからね

邪険にしてごめん

ほかにも詳しく色々書く

ごめんとありがとう、大好きをつめて送る

いつもなら書かないような恥ずかしい文


きっと明日はいつもの私だから今しか言えないと思うから


言える時に!



母よ姉よ姪よ、猫達も


大好き

大好き

愛してる



母にはとんだ母の日になってしまった

(๑´◡ु`๑)