数日間を海辺で過ごしました。


あんまり気持ちよくて、


もうずっとそこにいたいような気さえしました。


今日、


生まれた町をバイクで走ると、


ふと潮の匂いを感じました。


私の生まれ育った町には川が流れていて、


河口付近と言うのにはほんの少しばかり上流に位置しているけれど、


川には満ち引きがあって、水が満ちているときには、


あがってきた海の水で、風に潮の匂いが混ざるのです。


その匂いを嗅いだときに、


ああ、と思いました。


ああ、だから、私は海辺であんなにも心地よく過ごせたのか。


かすかな潮の匂いは、わたしの子ども時代の匂い。


夏にも冬にも、


川は流れていました。


冬には、川の上空をかもめの群れが旋回していて。


わたしは小学校の帰りに、ほんの少しだけ回り道をして、


給食の残りのパンをちぎっては投げたものです。


かもめは何を思うでもなく、


わたしの投げるパンくずを、ひとつ残らず宙で受け止める。


わたしがパンを投げなくても、


彼らは生きていける。


けれどわたしは、パンを投げる。


彼らはそれを受け取る。


潮の匂いのする風の中で。


夏もそう。


わたしは砂の上を歩いた。


小さなハゼを追った。


わたしはハゼを捕まえなくても生きていける。


けれどわたしは必死で彼らを追いかけた。


やがて飽きるまで、砂で囲ったプールに追い立てた。


そこにはやっぱり潮の匂いがありました。


ひらめきとは回帰すること。


人は、あたらしく思いつくことなどないのだそうです。


すべては、過去を思い出すこと。


あ、そうだ、と。


本当のことに、かつてはあたりまえだったことに、気がつくこと。


潮の匂いのするところに住もう。


いつかそうしよう。


そんなことを思う、誕生日でした。