先日の日曜日は、父の日だったのですね。
すっかり忘れており、主人は息子に高級なゴルフボールをねだっていました。
母の日には早々と、プレゼントいただきましたが、基本、男の子はお母さんに優しい。
男の子は父親には、、、
女の子、欲しかったですねー。
✥✥✥✥
私の父は、随分と昔に他界したので、
今では、たまに思い出す程度です。
元気にしているかな。
ちょっと長い話になります。
父の日にちなみ、父のことです。
母の兄弟は、まだまだご健在の方が多いけど、
父方の兄弟は、すでに誰ひとりといません。
父が末っ子だったせいもありますが、
40代、50代で亡くなられた叔父や、
ベッドから落ちて頸椎を損傷して植物人間になったり、透析をしていた叔母もいました。
私の記憶の中の、父の田舎に行った思い出や親戚の家に遊びに行った思い出は、
明るい色ではなく、暗い色の中にあります。
でも、それは母の顔色だったのかな?とも感じとれます。
つまりは、母は親戚付き合いを楽しめていなかったということです。
私にとってのおばあちゃん、
父の母は、素晴らしくお金使いが荒く、
派手な方だったようで、
でも、とてもチャーミングで、
羽振りが良く、ちょっとエッチだったんですよ(笑)
おっぱい触るとか(笑)
父は3歳まで他所様で育てられたそうで、
おばあちゃんは最後まで、
父に申し訳なかったと話していたそうです。
父は末っ子だったこともあり、おばあちゃん大好きだったんだろうな。
✣✣✣✣
父は、2000年の6月12日に自死しました。
62歳でした。
庭の片隅で、冷たくなっているところを
母が、発見しました。
その頃は三女の妹と三人暮らしでした。
雨がザーザー降っていて、寒い梅雨空でした。
父はサラリーマンになって10年くらいだったでしょうか、
事故で右腕を怪我してから、電気職人を諦めざるを得なかったようです。
大きな新宿のビルのメンテナンス業をしていました。
真面目で、無口で、←職人気質です。
管理するデータも家に持ち帰って、誰が見ても分かりやすいようにする工夫をしたり、
本当に細かい作業が得意?でした。
(好きでやっていたのか、楽しかったのかは
聞いたことがありません)
電気職人なんで、家電は何でも直しちゃう。
かっこいい父でした。
定年退職したら、おもちゃの修理屋さんとか
いいよねーって家族で話していました。
暗雲が立ち込めたのは、今で言うパソコン作業が増えていって、データの通信が主流になっていった頃。
父は少し行き詰まってしまったのか、思うように出来なくなってしまって、仕事にも支障をきたすようになり、
心療内科に通うようになって、薬を飲んでいました。
私が最後に会ったのは、5月のGWの時、みんなで外食しに出掛けたんです。
行き帰りをぷらぷら歩いたことは、よく覚えています。
外食すると生ビールのジョッキを、父は美味しそうに飲んでいました。
飲むと寝ちゃうタイプ(笑)
笑顔が素敵な父でした。
こうしてブログ書いていても泣けてきます。
先日の父の命日のお墓参りは、本当に珍しい晴れで、私の心や魂も喜んでいました。
こうして真実を書けるようになって、強くなれてる!と感じます。
ひとえに、周囲のみなさん、たくさんのご縁のあった方々に感謝いたします。
そして、母と3番目の妹に、頑張ってきたよね!って喜びあいたい。
ずーっと、世の中を恨んでいました。
父の飲んでいたという薬の作用にも不審を持ったりしていました。
何かのせいにしても、父は帰りません。
重たい気持ちのまま、ずっと生きてきたことは、体にも心にも負担をかけていたことに気づけました。
私も、2番めの妹も乳がんになってしもうたし。
もし同じように苦しんだり、後悔をしている方がいらしたらば、
癒やす術を見極めて、拡めていきたいと思います。
父のように心身を患いながら、仕事を続けるのは止めましょう。
(↑長男に散々言いました)
精神世界のこと、スピリチュアルのことを知るうちに、すごく楽になれました。
そして、命日の日に、父のことを息子たちに
ちゃんと話すことが出来ました。
二人とも、すごく驚いていたけど、
(頭を打って死んでしまったと伝えていたので、、、ごめんなさい)
息子たちは、「話してくれてありがとう。もっと、早くに話してくれても良かったのに」と
ちゃんと受け止めてくれました。
あの時、長男は小学一年生、次男は年中さんでした。
2ヶ月くらい、実家から電車に揺られて通って貰ったんです。
そして今は来月で28歳、26歳になります。
誰でも、本当のことが知りたい。
「聞けて良かった」と。
同じDNAを持っているから、尚更だよね。
(私もココがすごく大切だと思う)
「そう考えると、ばあば(母のことです)は、強い人だよね、一番辛かっただろうね」って、おばあちゃんを讃えていました。
こういう話は、友人とかとは共有しにくいんです。暗くなるから。
一度、自死で家族を失ったという方の集まる会にも参加しました。
話は聞いてくださるけど、生き方までは教えてくれませんでした。
そして、私自身の、私の家族の課題になのだと受け止めることが出来るようになりました。
現在、エネルギーワークにも精通されている先生からスピリチュアルな世界も学んでいます。
先生から学んだことを、私もこれから仕事に活かしていけるようになりたいと企てています。
私は、父と母の元に生まれ、今も頼れる家族がいて、有り難いなと感じます。
家族もご縁なんですね。
主人とは、ラブラブというよりも、同じ課題に取り組むために一緒になった同志という感じがします(笑)
喧嘩したり拗ねたり、でも何でも話せるような関係だと有り難く感じます。
宇宙に(というよりブログですが)父の話を放つことが出来て嬉しいです!
家族との兼ね合いもあり、先々はまだ定まらないけど、私の気持ちは定まっています
楽しみながら生きる中で、さらにたくさんのことを学び感じていって、たくさんの方と共有共感、そして学び合いたいです。
みなさまも、悔いを残さないように、やりたいことを、どんどんやって行きましょうね!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。