(渡り廊下)              (過去帳)

 

<奈良編>

先ず古都・奈良を代表する、「東大寺」、ここには、現在も古から伝えられている多くの謎が現存する奈良随一のミステリースポットと言えよう。

先ず東大寺という名前から違っており、”東大寺“という寺は存在しない。本当は違うが、一般的にそれで通用する、いわゆる東大寺である。

本当の名前は、「奈良時代に国分寺として造営された大きなお寺で、本当の名前は、「金光明四天王護国之寺」と言う。

ではなぜ東大寺と言う名になったのかと言えば、「東にある大きなお寺」という意味で東大寺と呼ぶようになった、通称である。

その東大寺の別当に多くの謎を含む、「二月堂」がある。

ここは全国的に知られているのが、「お水取り」修二会の行事である。

関西では、「選抜高校野球とお水取り」が春を呼風物詩としてよく知られている。

その二月堂では、お水取りの恒例行事の一つとして「だったん行法」というのがある。その行事の一つとして、東大寺に関連した人の大勢の名前を100人の曽呂が読み上げるのだが、その一番最後に、それまで、こえ高々に読み上げたのに、最後に来ると必ず小さく不気味な声で、「青江の女人(しようえのにょにん)」と暗い感じで読経する。

毎年、奈良時代から行われタ行事が、現在でも続けられている。

青江の女人とはいったい何者なのか。

これについては、言い伝えがある。

奈良時代、東大寺建設に尽くした、天皇を始めとした関係者の名前を、過去帳に、ある曽呂が記していると、深夜にスーッと青い衣を着た髪の長い女性が、現れ、曽呂の前にた立ち、「わらわの名前を忘れていないか」と不気味な声で言った。

曽呂はあわてて「青江の女人」と過去帳に書いてしまった。  

現在でも、長い渡り廊下には、青い衣を着た髪の長い女性が、深夜に現れるのを目撃した大勢の曽呂がいるとか。

二月堂には、その過去帳が今でも残され、一般公開しているので、奈良に行った際には、是非一度見ることをお勧めします。

今でもその青江の女人の素性は分からないとか。なんとも不思議な話である。

 

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