最後に、戦前に大陸で広大な農場を経営していて支那人の日本人と違う性(サガ)をよく知っていた故加藤三之輔翁から聞いた体験談を次に書いておく。
体験談を聞かずしてNHKの解説にだけ左右されることなかれだ。
(1)敗戦後、日本人の資産は全て没収された。自分は正直に全ての資産を申告したが、疑われて旅順刑務所そして上海刑務所に長年投獄された。
一方、資産を隠して誤魔化した日本人は直ぐ日本に帰ることができた。
何故だと思う。
中国人は、私のように正直にさっぱりと莫大な全資産を申告した者は、他にまだまだ多くの資産を隠しているはずだと判断してそれを見つけ出すまで拘束する。
ところが、資産を誤魔化して申告した者は、誤魔化した資産が見つかった以上、これで全てだと判断して日本に帰す。
(2)私が上海刑務所に移されてから、妻が三度面会に来た。
「誰の世話で面会に来た」と妻に聞くと、
「中国人の誰々の世話だ」と言った」。
それを聞いて私は、直ちに日本に帰れと妻に言った。何故なら、妻がその中国人に売られると思ったからだ。
私はその中国人に三度恩義を与えていた。従って、彼はその恩義を三度妻が私と面会できるようにしたことで私に返した。
そして恩義を返した彼がすることは、私の妻を売って金にすることだ。だから、直ちに日本に帰れと妻に言ったのだ。
(3)支那に初めて渡ったとき、橋から苦力(クーリー)が川に落ちて溺れながら流されていた。
子どもが喜んで石を拾って溺れて流される苦力に投げていた。大人は誰もその子どもに注意しなかった。
しばらくすると、ある大きな家で悪霊を払うお祓いをするから見に行こうと誘われた。
どういうお祓いだと聞くと、生まれたての赤子を生きたまま犬に食わせるお祓いだという。
とんでもないところだと思った。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?mode=Printview&page=878
昭和五十三年八月十二日、北京で日中平和友好条約が締結された。本条約の骨子は、
主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉である。
時の総理大臣の福田赳夫さんは、本条約締結の三日後の八月十五日に、靖国神社に参拝する。
同年十月、実質上の中国首脳である鄧小平が批准書交換の為に初来日し、新日鐵の工場や新幹線等の日本が世界的に誇る工業技術部門を中心に日本各地を見て回る。
日本との条約を締結した彼の目的は、この日本の技術と富を中国に流し込むことにあったからである。
そして、鄧小平の目的にかなって、日本は巨大な対中援助を日中友好のかけ声に煽られるように続行する。
転載此処まで