当時、日ソ不可侵条約で互いの国土を侵すことはないとしていた。
日本政府は、降伏に関する件をソ連を通じ、連合国へ打診していた。
しかしながら、のらりくらりとかわし、8月9日未明条約の破棄を通告、満州国へ侵略を開始すると共に、我が国の樺太・千島列島への侵攻を開始した。
北海道歯舞諸島が占領されたのは9月5日、満州や樺太等で婦女子が暴行虐殺され、60万もの日本兵・民間人が拉致され劣悪な環境下で強制労働させられて、6万人が帰らぬ人となった。
日本が行ったとされるこじつけのような捕虜虐待より、明確な国際法違反である。
ロシアは厚顔無恥なことに日本が連合国に対する降伏文書に調印した9月2日を対日戦勝記念日とする事を決議した。(サンフランシスコ平和条約をソ連(ロシア)は批准していない。)
自民党時代は、阻止できたこの議決を民主党は許してしまった。