この修学旅行について

周りの反応は様々でした。


特に家族の方からは

学校を休むようになった時も

そうでしたが

会議室で授業を受けたり

クラスの子と会えるようになったり

しているのだから、と

行くのだったら

クラスの子と一緒に行かせた方がいいよ

そのことに意義がある、

といったような話をされ


いや、まだそんな風に

うまくいかないものなんだから

と話してみても

そこからなかなか離れてもらえない

結局、旅行から帰ってくるまで

分かってもらえませんでしたが

とても骨が折れるやりとりがありました。


なんでこんなに分かってもらえないのかと

胸をざわつかせることは

いくらでもできましたが

正面からやり合ってみたところで

徒労とまではいきませんが

旅行に行く前に

体力がもっていかれそうでしたし


なにより息子の現在進行形で

萌え芽を見せ始めたばかりの気持ちに

変な刺激を加えることのないような感じで

見守っていきたかったので


家族とは少し距離を離しながら

大丈夫だから、といった言葉を残すことしか

できませんでした。


多分、イメージしているものが違うんでしょう

そして彼らのそれは、

他にはみ出したりすることを

許すことをしない

なにかに枠取られているように見えました。


その中に息子のありのままの姿

といったものが入っていればいいのですが

話している限りでは、

あまりそんな風にも思えませんでした。


こんな時、ちょっと孤独を

感じてしまったりはします。

生まれた時からそばで一緒に見守っていて

息子の成長していく姿を喜び

幸せになってほしいと願っているのは

同じなのに、どうしてなんだろう


私は無口ではありません。

困ったことがあったなら

相談にも乗ってもらったりして

事情はよく知ってもらっていたと

思っていました。

よく聞いてくれた母より

感謝は勿論していますが

相分かったと通じたのは

父の方でした。


不思議なことです。

物事の捉え方の違いでしょうか。


最近よく、関わっている物事の性質からか

イメージすること、

想像することについて

思い巡らす場面が自然と多くなってきたのですが

想像するイメージは

何があっても変えてはいけない

といったことはない、

自分の想像できるイメージなんて

たかが知れてるといったような

感じがしているのです。


大切なものは手放さないけれど

でももしかしたらその大切なものだと思っていたことも

その様相は変わっていくかもしれなくて

手放すこと、あとは身を任せることを

やってみたらどうだろうか。

そんな風に、思えてきたのです。

適当というのか、重さでいったら

軽やかさこの上ない心地といいますか。


手放す、また力を抜くということは

意外とむずかしかったりします。

本質の中に、考えてしまうところを

私たち人間は持っているからかもしれません。


肩書きや既存の価値観を

脱いでもまた付いてくる。

それも脱いでいく。

たまたまつけたテレビで紹介されていた

絵描きの方が、それがアートだ。

それが人生なんだ、と仰っていて

メモらせていただいたんですが


生きることを自由にしていくと

自然とアート活動になっていく


いま、情報化社会の次は

超情報化社会だといわれて

それに対応していく方向に

アートの可能性を感じている活動が

盛んに行われるようになっています。

本当に、一時的なものではなく

それが具体的に私たちに還元されるような

有機的な関係性が実現するといいなぁ

と思います。


少し話が横に外れてしまいましたが

どこに場面が変わろうとも

息子の気持ちは彼のものとして

そのままゆっくりと形を作っていってくれれば

それだけは外さずに、と心に留めて

旅行を続けていました。


途中、しおりを途中の店に忘れてきてしまい

慌てて添乗してくださっている

旅行会社の方の携帯に電話して

足湯の場所をこっそり確認したりして

息子を連れ出しました。


後で校長先生から伺って知ったんですが

その日は行きの道が混んでいて

予定より遅く到着したこと、

でもそのことで他の学校と重なることがなく

遅れた時間を取り戻したばかりか

最後の足湯の場所には予定より早く着いたらしいのです。


そういったことは知らなかったのですが

2人で浸かり始めて程なくして

学校の子達が少し疲れた表情を残しながら

賑やかにやってきたのです。


息子の反応が気になりましたが

おぉ、と挨拶を交わしながら

私が退いた隣に座られるのを

なんともなしに対し、

わいわいと話をしながら

のんびり浸かっていました。

離れたところから写メりながら見ていると

いま合流したばかりとは思えないくらい

自然に馴染んでいて

心配していたのが馬鹿らしくなったくらいでした。


なんなんだろな。と思いながら

でもやっぱり込み上げてくる気持ちは

嬉しくて仕方がなくて。


じゃあね、またねー

と言いながらまた別れたわけなんですが

息子と2人、楽しい気分は変わらず

いたって淡々と足湯をあがって

旅館に帰りました。


こだわりを手放して力を抜いてみると

残るのは、運とか勘とかいったものだったりして

それは予想がつかないので

(予感がしたりはしますがまたそれも)

今はそれを楽しみに変えられる自分を

また嬉しく思ったり。

不安という感情をコントロールして

乗り越えると

そこらじゅうがおもしろおかしく

みえてくるかもしれないです。


こうして書いている文章も

どこへ繋がっていくのか

書き始めた時には予想がついていないのですから。



まだ旅行1日目が終わりません。

長くなってます。

お付き合いくださって

今日もありがとうございます。

目覚めることが楽しみな朝を。