運動会の翌日から学校を休み始めて

1ヶ月が過ぎようとしていました。


学校や私の両親との確執から

周りの保護者からの詮索や偏見

それによって離れていく人


その度に助けを求め、

味方となる人を見つけ

力になってもらいながら

少しずつ、学校の理解を得ることが

出来るようになり

具体的な連携体制を整えていきました。


濃いい1ヶ月でした。本当に。

なにしろ身体に症状が出るくらい

参っていて、気持ちが不安定な

子どもに対して

ともすると違う方向に、分かりやすく言うと

強引に(教室に行こう、とか)

働きかけようとする先生方


会議室まで来ているのだから

大丈夫なんじゃないか、と

思ってしまうとは思うんですけど


息子がどれだけ複雑な想いを抱えて

いたのか理解は難しいとは思います。

ですが実際には

不安な気持ちの中から

それを乗り越えようとする

ほんの少しの彼の力を

そっと掬い上げるようにして

まるで小さなロウソクの灯りを

消えないようにかざしながら


外へ通じる道を照らすようにして

学校に連れて行っていたんです。

本人はもちろん本当に頑張っていました。

そんな彼を見ながら、私にも

無理はさせていないかと迷いはありました。


変わりたい、という漠然とした

彼の気持ちを現実の世界でカタチにする

その方法は

学校に行かないことなのか

学校に行くことが必要なのか

いつも迷っていました。


ただ、家にいる間

退屈だ、と言うんです。

好きなところに行ったり

好きなものを見つけたりしても

それを誰かに話したい、聞いてもらいたい

(最近はユーチューバーのような

動画を撮るのにハマってます)


そして本当の自分をいいね、って

思ってもらいたい。

そう思ってるんじゃないかと

彼の行動を見てると

そんな気がして

学校に行く時間になると

声を掛けて、反応を見ながら

時間を遅らせたり、休ませたりして

連れて行ってました。


それにすぐ理解を示してくれた

先生方もいて、とても感謝しています。



ひとの心は、本当に一瞬一瞬で

まるでそれ自体が生き物かのように

変わっていきます。

自分でも意識が追いつかないくらい

変容します。

自分でもそうなんですから

他人の、自分の子どもであっても

完全に理解することなんてできないし

ましてやコントロールするような

ことを、親だからといって

していい権利はないし、効力もない


子どもの人間らしさを取り上げる行為

に他ならないんです。

では何ができるかというと

やっぱりエンパシー、親子であっても

共感、なんです。

そこからスタートして

信頼関係を築いたり

愛情を伝えられたり

背中を押してあげるような

ことができるんです。


誰のものでもない、子どもの心は

子どものものなんです。

侵してはいけない、

それが愛から発するものであっても

愛されてると受け取られて

はじめて愛がかたちになるんです。

プロセスを間違えると、

それは毒でしかない。

毒親って流行りましたよね。

本当に子どもにとって、紙一重なんです。


子どもは、前にも申し上げましたが

生んでくれた、育ててくれた

親を幸せにしたいという思いを

本能のようにもっているんです。

とても純粋に思っているんです、本当は。

私たちは、そのことを同じように

無意識に叩き込むくらい

忘れてはいけないです。

彼らの気持ちを利用して

自分の好き勝手なことをしては

いけないんです。

エンパシー、そして尊重する

人間関係で必要なこれらのことを

親子であっても必須なんです。


学校の先生と生徒でもそうです。

ただ、子ども達はまだ

自立した人間に成長する過程であって

いろいろ学んでいる段階ということで

その過程に必要なことを先生が教える

それだけの関係です。

個性や多様性を認めながら、というのは

直接その言葉を子どもの前で

言うのではなくて

本当に行為で伝えるんです。

そこにはやっぱり、

それぞれの子どもに共感し尊重すること

なんです。


また長くなりましたが、

会議室に来れるようになった

じゃあ、次は教室に行けるんじゃない?

じゃないんです。

本当に結果ばかりをみて

プロセスを忘れてしまう人が

先生には多い気がします。

なんの知識からそんな風になるのか

分かりませんが、人間を教育するって

そんな単純なことじゃない。

それがまずい、という認識は出てきたのに

やり方が変わらないのは

どうしたらいいんでしょうか。


先生たちと関わることが増えてきて

そんな風に感じることが多々ありました。


同じように問題意識を持って

くださってるであろう先生も

いらっしゃいます。

その先生、教頭先生には

本当に助けていただきました。


今はもう教頭先生は本来の

管理職の立場に戻られて

担任の先生とのやりとりがメインに

なっていますが、


当初、入り口になっていただけそうなのは

教頭先生だけで

軌道修正が必要と感じた度に

面談を設けて話し合いました。


先生方も、毎日子どもと向き合いながら

本当に思い通りにいかない子育てを

何十人分を一手に引き受けて

いらっしゃるわけです。

その中で模索して、学んで

いまでも研修を受けたりなどしていて

積み上げてきたやり方があるわけです。

それこそ、教育改革などの

時代の流れにも翻弄されながら


でも、そうして積み上げてきたやり方を

また壊して作り変えていかなければ

いけないんです。

それが人間を教育するには必要不可欠な

ことなんです。

本当に難しい職業だと思います。

ただそれを乗り越える度に得るものが

言葉にできないくらいの

エネルギーといったらいいんでしょうか

醍醐味であってやり甲斐になるんだと

思います。だから挑戦し続けて欲しいです。

そう思います。

先生という人生を味わいまくってみて欲しいです。先生っていいお仕事だと、思います。


話を戻しますが、教頭先生とは

時間をかけて話し合いを重ね

軌道修正をしながら

1ヶ月、会議室授業と呼んでいるんですが

気付いたら経っていました。

1学期も、もうあと何週間かで終わりになります。

そんな時に、先生から

通知票について相談されました。


本題に入る前に長くなってしまいました。

続きます。


ここまで、お読みいただき

ありがとうございます。

ではまた。