通知表というものについて
率直な感想を申し上げると

周りが重要だといえばいうほど
私には逆に聞こえてくるのです。

例えばこんなことがありました。
図工の時間、作品が終わらない生徒に
「評価にひびくよ」とたきつけること

息子も言われて作品を
家に持ち帰ってきたことがあります。
はじめは、図工が好きな息子が
どうしても終わらせたくて
持って帰ってきたのかと思ったのですが

聞くと、先生にかの言葉を言われたからだ、と。

通知表のつけ方は、それぞれの学校で
決めているようですが
息子の学校からもらった
通知表についての説明を読むと

子どものよさや伸びを積極的に認め、
意欲的に学習に取り組めるようにする

その判断材料として
提出物の記録や、学習活動の様子
テストの結果などの観点から評価する

私は子どもの頃の話を
思い出しました。
中学3年生のとき、
体育の授業を一度だけ休んだことが
ありました。
理由は体調不良でした。
その学期末の評価は2でした。
それは内申点があった当時、
その評価が影響して
推薦(高校受験の)がとれなかった。
今でも覚えています。
そしてその先生のことも忘れられません。

でもこれは、中学生の時の話です。
小学生の、しかもまだ四年生の子どもに
評価、通知表というものを
まるでこれがあなただ、といった風に
突きつける。

個性や多様性はどこにいったんでしょう

学校においては
子どもの育ちは、科目の中でしか
認められませんか?
「行動の記録」という備考のようなものも
あることはあります。
でもほんとに数行のスペースしかない代物です。

 子どもの様子をみていると
最初の2、3年生のうちは
見もしませんでした。
それが、先生が「評価にひびく」
といったことをきっかけに
通知表の存在を気にし始めるんです。

いろいろな捉え方があります。
教育熱心な家庭や
それこそ、中学受験を控えている場合には
子どもの学習状況を把握するために
大いに活用されるでしょう。

そんな背景もあって
先生達の口から、日頃の学習活動の
中で「評価」といった言葉を使うことで
効果的に作用すると考えられているのかも
しれません。

しかし、私は疑問です。
子どものよさや伸びは
「評価にひびく」という声掛けで
その子本来の良さが出てくるものでしょうか
学習への意欲は、他者から評価されることで
湧き出てくるものでしょうか
また、その意欲は本当にその子の本心
なのでしょうか。

我が家に限っては、
評価につながると言われたから
作品を持ち帰ってきました。
完成させたいのは、いい評価を
先生から否定されたくないからです。
認められたいからです。

憤りを感じ得ずにいられませんでした。
純粋に図工の時間が好きな息子に
ものを作ることや、絵を描くことが
好きだった息子に
なんてことを言ってくれるんだ、と。

実は算数の授業でも
言われたことはありました。
その時は、違和感を感じたくらいで
終わらせてしまいましたが
今回は目に余るものがありました。
幸い、図工が嫌いになるということは
なかったんですが
あまりにも、なので
図工に関しては評価という言葉を
使ってくれるな、と教育委員会を通して
学校にクレームを入れさせていただきました。
未だ、相変わらずですけどね。

もう少し、お話しさせていただくと
図工の作品が完成させられた、と
夢中になって取り組む、と
どちらが意欲的な評価に繋がりますか。
どちらも評価に値しますよね。
私は同じくらいの評価を
つけていいんじゃないかと思います。

なかには、苦手で好きになれなくて
なかなかやる気が出ない子もいますよね
でもまじめに取り組む子
どうでもいいやとなってしまう子
ここでもいろいろな子どもがいます。

でもここで評価という言葉を使うのは
先生の努力不足ではないか、と
私は思ってしまうのです。
言葉で言うのは簡単です。
頑張れ!と言うのと同じくらい簡単なことです。

言葉で言って相手を変えられるのは
難しいことだというのを
私たちは嫌になる程、経験して
分かっているはずです。

例えば、
謝れば済むと思っているのか
この言葉が使われるとき、
お互いの気持ちが向き合うことなど
とてもではないがその余裕がない
そういった状態なわけです。

言葉を使うということに対して
あまりにも軽率だといういい例です。
これは日常でもそうです。
それぞれ価値観が違うもの同士で
言葉でのみで交流できるというと
皆無ですよね。私はそう思うんですが。

小説家や詩人などのプロならいざしらず
あと、俳人や芸人の方もそうですよね
私たち素人が同じことを試みるというのは
ものすごく難しいことだと思うのです。

実際に会って、いろんなやりとりなどして
お付き合いが続いている間柄で
その人となりに共感できるものがあって
つまり、気持ちが先に動いていて
はじめて言葉で気持ちを伝えるということが
ちゃんとできるのではないでしょうか。


学校を休んで、会議室授業となって
この1学期の通知表について
どうしましょうか、と言われたとき
正直、なんで保護者の私にそんなことを
相談するのか、と思いました。

先生方にとっては、通知表を受け取った
息子の心象を気遣ってくださったようなんですが
話を進めていくうち
出席日数の中で評価をしていいのか
それとも空欄にした方がいいのか
なんか聞いていて、どうでもいい
と思ってしまいました。

聞くと、通知表というのは
決まったフォーマットがないそうで。
では、とひとつ提案させていただいたんですが

科目や、評価基準ではかれない
この1学期については
今までの評価方法はとるのは
難しい。
なので、先生の方から総合評価というかたちで
例えばレポートにして書いていただく
というのはいかがでしょうか。

それは難しいと言われました。
学校の都合なのか、先生の力量なのか

もう学校のいいようにしてもらって
構わない、と答えました。
子どもは通知表は見ないだろうし。
お任せすることにしたんですが

結局どうなったかというと
担任の先生の判断で
出席していた間(会議室授業は含まれず)の
学校生活の中で評価されたようです。
もちろん評価は低いもので
入学して以来、初めての評価点でした。

それを、
終業式にせっかく来てくれるのだから、と
一生懸命作ってくださったようなんですが
正直、なんとも言えません。

本当は通知表について
もう少ししっかりと調べて、
皆さんと情報を共有できたら、と
思ったのですが
我が家の事例がとても分かりやすかったので
制度やらなんやら申し上げないことに
しました。
なにか感じていただけたら
幸いです。

まだまだ、本当の意味で
息子が復学する道のりは
遠いもののようだ。
私はそう感じずにはいられませんでした。