小学6年生の秋といえば
修学旅行です。
修学旅行については
不登校の子どもや
周りの大人、
人によっていろいろ意見があって
修学旅行だからって別に興味もない、
という子もいれば
いや、修学旅行だけは行きたいという子
これは不登校の子どもたちの場合の
話ですが、学校に行っている子だって
楽しみにしている子もいれば
中には別の思いを胸にしまっている子も
いるかもしれません。
そして大人になってからはまた
それが変わってくるかもしれません。
行っておけばよかった、となるかもしれない
ならないかもしれませんが。
私の子供の頃を思い出すと
正直、行ってよかったのかどうか
分かりません。笑
思い出話が一つ少ないということで
ちょっと寂しく感じるかもしれないな
という程度です。
全体的に終始が受動的な状態であったので、
もしかしたらいい思い出もあるかも
しれないんですが
なかなか思い出せないんです。
今回、不登校の息子に
修学旅行について話し合う時にも
私自身がそういった価値観を持っていたので
正直なところ、
本人にその気がないのであれば
全然行かなくてもいいと思っていました。
でもともかく息子の気持ちを聞くと、
観光はしてみたいけど
みんなで一緒に行きたくはない。
そう答えが返ってきました。
話は少し遡りますが
2学期を迎える前の夏休みの期間中と
修学旅行を迎える前との2回ほど、
関わってくれている先生方に
集まっていただき、
保護者の私を入れて
ケース会議をもたせてもらいました。
担任、学年主任の先生は勿論のこと
通級の先生、相談員の彼女
我が家の家庭教師の先生には
私から声を掛けて来ていただきました。
旅行会社の方とも話をしました。
その方は子供の頃に修学旅行に行けなかった
ことが今でも心残りだと話してくれました。
そしてクラスの子どもたちにも。
身内も含めて、行かせてあげた方がいい
というのが大方の意見でした。
不登校の子供を持つ親としての顔を持つ
元教員の家庭教師の先生からは
修学旅行には行きたい、という子がいる
という話をしてくれました。
相談員の彼女からは、
息子とクラスの子供同士のやりとりが
増えてきている今、教室を離れて
環境が変わった中でいろいろな体験が
することで何かのきっかけになったり
いい経験となったりする機会になるのでは、
といったお話をしてくれました。
通級の先生からは、
特別支援学級を担任していた経験から
いろいろな参加の仕方、
保護者が別の部屋をとって寝泊りは
そちらでしたり
電車で行って、向こうで合流するとか
そういった家族がいたことを
教えてくれました。
もちろん最後は子ども本人の意思を尊重することが最優先です。
子供同士のやりとり、、
確かに増えてきました。
そのうち来てくれなくなってしまうのでは
ないか、と心配される先生もいましたが
休み時間に遊びにきてくれる子や
給食を持って会議室で一緒に食べようと
やってきてくれる子は
息子の特性を話して以降、
ずっと続いていました。
そして私も大人になったいま、
修学旅行に行くことで
その時にしか得られないものがあるんだと
分かってきていました。
ですから、いただいたアドバイスの通り
修学旅行は申し込むことにしました。
申し込んだだけでは
状況はなにも変わらないので
息子の知らない水面下で
準備を始めました。
いつ本人が、やっぱり行きたいとなった時に
備えて。
最初の難関は虐めのあったことについて
どう対応するかです。
どういったことかというと、
クラスメイトからなんだか置いていかれる
話しかけてもらえない、といったこと
また明らかに嫌な思いをさせられたといった子が
クラスに2人いたんです。
怪我につながるような暴力を振るわれた訳ではありません。
そういったことであれば、逆に
先生の耳に届くことだったと思います。
相手の子からすれば、
ちょっとからかった、とか
謝る程度のことではなかったと思って
ぞんざいにしていた。
もっと言うと、息子のことを
その程度にしか思っていない言動によって
息子の自尊心が傷付けられていたのです。
無視、も勿論その中に入ります。
ここで文部科学省のHPから
いじめに関する法律が載っていたので
抜粋させていただいたものをご紹介させていただきます。
いじめ防止対策推進法
この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1337278.htm
いじめというのは受けた側が苦痛を感じた時点で
周りがどうであろうと、それはいじめなんです。
そのことを私たちは、子どものことだからとぞんざいに扱ってはいけないのです。
子どもの頃の体験はその後の人生を築く上で、礎となります。
皆さんのおかげで今があります
皆さんの中には、頑張った内側の自分も入っているわけですが
聞き慣れた言葉だと思います。
このことと同じだと視点を変えて下さい。
子どもの場合も同じなんです。
大人になってもつながって消えることはないことを、私たちは常にその意識を持って
子どもと関わるべきです。
端的にいうと、ひとりの人間として考える。
大人、子どもといった概念で考えていてはいけないのです。
話は変わりますが
フラッシュバックという言葉を
ご存知でしょうか。
いつあったといったことは関係なく
その時のことが、自分の中で鮮明に
再現されることをいいます。
何年、何十年前のことであっても、です。
ですから、たった一度の出来事なのに
フラッシュバックによって
何度も何度も繰り返し体験するんです。
そしてそれが心の動きに定着して
トラウマというものに成り代わって
しまうんです。
通常、嫌なことは忘れようとします。
そう人間の脳はできています。
でも、自分のキャパシティを超えた時
制御できなくなってしまうんです。
どう扱ったらいいのか分からず
ただただフラッシュバックによって
繰り返される記憶の波の中で
漂流するかの如く、漂い彷徨う。
自分を傷付けたり、他人を恨んだり
そういったことでしか
保っていられない、
気持ちの行き場が見当たらないんです。
身体も病気のような症状が出て
思考も歪んできます。
フラッシュバックは消えはしません。
残念ながら虐めた相手に謝ってもらったとしても
その記憶は完全に消えることはありません。
過去に戻れないように、
起こってしまったことを
なかったことにはできません。
でもその記憶の色を変えることは
できます。
そしてその記憶を乗り越える事ができます。
乗り越えるというのは人間の本性なんです。
知性によって人間は自分の生に終わりがあることを知っています。
それに対抗するようにして、
知性を智慧に昇華することでその苦しみを
乗り越えようとしているのでしょうか。
先程、気持ちの行き場を失ってしまうと
いいましたが、記憶を消せはしないものの
しまっておく場所を
見つけてあげることは出来るのです。
息子がいじめられたと
蟠りを感じている子どもは
何人もいました。
その全員に対して話すことは叶いませんが
また、本人もそれでいいとおさめている
ようでしたが、
クラスメイトの子たちに紛れて
かつて自分を傷付けた子が
何もなかったかもように、
息子のいる会議室に現れて
他の子と一緒になって、
教室に戻っておいでよ!ときたときに
フラッシュバックが起こったのです。
あの2人がいる教室には絶対に行かない
惨めで誰にも言えなかった、あの頃とは
違います。
息子には、私の他にも味方ができました。
ですから、息子は本気で怒りを顕せるようになったんでしょう。
正直フラッシュバックやトラウマについて
学校の先生と話せる機会ができるとは
夢にも思っていませんでしたが
それが昇華されないと前に進めない、
ということでケース会議の席で
真剣に話し合いがもたれました。
続きます。