Wikipediaで見かける

「この記事には曖昧な表現が入っています」

ではないですが


これから申し上げることは

私が感じたことで、

事実とは違っているかもしれません



メッセージの返事を書いて

息子はスッキリしたようでした。

それからはメッセージを読むことは

あまりなくなり

(もともとそんな気分になれる状態では

なかったんですが)


私も、同じ内容であれば

(ほとんどそうでした)

そそくさとファイルに綴じて

しまいました。


変わらない状況に

担任の先生に念のため

息子のメッセージを直接、

その子達に見せていただいたのか

確認はしました。(YESと返ってきました)

じゃあ仕方ない。


こちらが伝えたということと

相手がどう受け取るかに

優劣も、正しい、間違ってるかといった

天秤にかけることは現実的ではない

安直な捉え方です。


そこから自分は、この状況を

自分がどうすれば解決するのかを

考えるのが建設的に思われます。


伝える機会があったら

またはその機会を作って

話してみよう、と考えていました。


そんなある日、出掛けから

帰ってくると家の前に

メッセージをくれた子の1人が

立っていました。


遊びにきたよ。


息子もそれに応じて

2人で遊び始めました。

彼と息子は好きなものが似ていて

また、身体を動かすことより

知的なことが好きでした。

意地悪をすることや

人をからかうことも

嫌いでした。


息子とは四年生の時に

はじめて同じクラスになって

すぐに彼と打ち解けたと

聞いていました。


彼はその日、自分の好きなもの

そして息子も好きなものを

いろいろ持ってきてくれていました。


仮面ライダーのフィギュアや

変身アイテム

ウォークマン など


息子もすぐに家の中から

おもちゃの刀を

持ってきて

家の前でチャンバラごっこを

始めました。


記念にビデオに撮っておきたいくらい

盛り上がっていて

ちょうど学校の先生から

電話が入って

息子の様子を聞かれたんですが


彼が遊びに来てくれてて

なんか盛り上がってるんですよ。

まだ分からないですけど

もしかしたら

いけるかもしれない


電話の向こうの先生の声も

明るく変わったのが分かりました。


これは会議室に行く前

まだ完全にお休みしている

2週間ほどの間にあった話です。


結局、息子にとっては

それとこれとは別で

翌日もお休みしたんですが


その日、別れ際に

教室に来ないか、みたいなことを

彼から言われたそうです。

息子はまだ無理。と言ったようなんですが。


そういったこと

彼が遊びに来て

別れ際に、教室に来るよう言われる

何度かありました。


最初は、気を許してて

彼の言葉に対しても

息子らしい、やんわりと

断っていたんですが

そのうち辛くなってきたようで

私に訴えるようになりました。


私からはっきり言った方がいいのか。

私は彼とは全く話したことがなく

彼への伝え方に慎重になっていました。

本人同士で話せればいいのですが

それには息子の負担が増してしまいます。


このことの対応については

なかなか先に進めませんでした。


あのメッセージを読んでも

彼の行動は変わりませんでした。


そのうちに、息子が会議室で

過ごすようになったんですが

そのことを遊びにきてくれていた

彼に話すと、休み時間や

空いた時間に顔を出してくれるように

なりました。


さすがにそこでは

直接的な働きかけ、おいでよ。

と言うことはなかったんですが


雑談をすることもあれば

今日、工作の時間に作ったものを

持ってきてみせたりしていました。


それを見て、

大丈夫かな?と息子の様子を

見ていたんですが

穏やかで、問題ない。といった

感じでした。



「この記事は検証可能な参考文献や

出典が全く示されていないか、不十分です」

Wikipediaからまた、

引用させていただきましたが



私から見て感じたことなので、

真実とは異なるかもしれませんが

彼の行動は

最初にくれたメッセージと変わらず


こっちは、こんなことがあったよ。

自分はこんなことをしたよ。

君も早くおいでよ。


といったことを示唆しているように

みえました。

あえてリミッターを外しているのか

あの時一度、パニックを乗り越えて

自分を再確認できたからなのか


息子はただ、彼が来てくれたことだけを

受け取って、応じているようでした。


ここまで書いていて、

読んでくださっている皆さんも

彼のことをどう感じますか?


担任の先生に聞くと、

本当に自分から行きたいと言っている

ようです。


でもそれが、毎日。

毎日来てくれるんです。


ありがとう、と思う気持ちも

ありますが、

受け取る側の取り方によっては

酷なことをしている


私が素直に受け取れないのは

息子がパニックになって

その気持ちに繋がってしまう

言動に敏感になっていたからだと

思います。


でも、そうだとしても息子は

嬉しいという気持ちの方が

少し上回っていたんですよね。


まどろっこしいので

私の感想、推察されることを

ズバリ言います。


彼の行動のソースは

彼のお母様にリンクされている

と思っています。


分かりません、お母様にも

一度か二度とくらいしか

話したことがありませんが

とても正義感が強い方、という

印象があります。

詳しく話すと長くなるので割愛しますが。


こうゆう時には

こうしましょう。


教えるのは、簡単です。

交通ルールを守りましょう。

大切ですよね。

でも、それが行き過ぎると

子ども本来の、心に浮かんだこと

そこからの意思と

したいことの選択肢を

狭めてしまっている可能性が

あるのではないか、と私は思います。


ですから、あまり褒めるようなことは

しないようにした方がいい、と仰る

方の言葉の意味が

すごく分かります。


褒めること、はご褒美です。

褒められると子どもは喜んで

またご褒美をもらいたいと

同じことをしようとします。


気がつきませんか?

子どもが自分で気付いて

主体的に行動しているでしょうか。


違いますよね、

他人から褒められたいから

やっています。

ですから、その時の行動の意思権は

まだ他人にあるんです。


そうなるとどうなるか

いろいろな場面において

自分の意思で行動できないということです。

行動できてるようにみえても

それは出発点は他人の価値観なんです。


ともすると同調社会

ダークサイドに陥ります。

ですから、怖いんです。


長くなってしまったので

続きは改めて、お話しさせて

いただきたいと思います。


お付き合いくださって

ありがとうございます。