安室奈美恵

 安室奈美恵が来年9月16日をもって引退する、というブログを発表したとき、音楽業界の仲間たちは「あ~あ」と一斉にタメイキをついた。だがテレビのワイドショーなど多くのメディアは、深い訳も考えず特集番組で「ありがとう、アムロちゃん」的な映像を流し続けていた。
 マスコミはこれまでも、大手プロダクション所属の安室奈美恵に関して、なにか口のモノが挟まったような報道ばかりしてきたように思う。
 彼女がなぜ突然、紅白から姿を消すようになったのか。
 マスコミは真相を知っていて、なぜか事実に触れずにごまかして来た。
 「紅白の出演者は、タトゥー(入れ墨)は消すか、(服、化粧で)隠して下さい」。
 このこと自体は、昔からのNHKの不文律なので、それはそれで局の自由だと思う。
 ただ安室奈美恵のタトゥーの位置がまずかった。腕なので彼女の音楽表現上、隠すことはできない。しかも彫られているのは90年代後半、最初の結婚でもうけたご長男の名前だ。
 親戚に恵まれず、事故で母を亡くした彼女にとって、ご長男は、宝のような唯一の血の繋がった肉親である。
 なぜ息子の名前を隠さなければならないのか。
 マスコミはここを問題化して、世論のバックアップで安室奈美恵、タトゥーOKにすることは出来たはずなのだが、エンタメジャーナリズムはそこを避け続けた。誰も安室の側に立とうとしなかった。見て見ぬふりをして彼女を「意地っ張り」と決め続けた。
 安室奈美恵の出ない紅白。2004年辞退から10数年間、われわれは紅白で彼女の姿を見ていない。
 個人的には小室哲哉・安室奈美恵の北京公演に取材で同行したのが最初だったように思う。90年代末の北京空港はまだあちこちに銃を持った兵士が監視をしていてドキリとしたものだった。小室・安室を乗せた乗用車とマスコミ用バスの先導をパトカーがつとめ、赤信号無視で会場の体育館まで突っ走るVIP扱いを体験させてもらったのもこの時だ。
歌姫には、稀代のインタビュー拒否組というのがあってドリカム吉田美和、MISIA安室奈美恵が3本柱だろう。3人とも天然なので、事務所がセーブをかけたのだ。一度だけロングインタビューをする幸運に恵まれたが、明るい、愛嬌のある「アムロちゃん」だった。小室さんとメールのやりとりはする?みたいな話で大いに盛り上がり、全然インタビュー嫌いじゃないじゃないか、とホッとしたのを覚えている。
事務所の社長さんの可愛がり方はハンパではなく、長期の海外滞在からの帰国後、沖縄国際映画祭で会うなり「安室のライブがまた良くなったんですよ。ぜひ見に来て下さい」と声をかけられた。社長のポップ志向と本人の最先端音楽志向は、常にぶつかっていたようだが、いつも最後は社長が折れていた。取材に応じないプロダクショングループだったが、ここの社長だけは(音楽出版社を経営していた頃からの顔見知りということもあって)頻繁に顔を出して取材に応じてくれたものだ。
だから3年前、安室の独立劇はまさに寝耳に水だった。
日本の芸能界は、歌手がレコード会社専属だった時代から、他プロダクションの引き抜きを力を合わせて、懸命に阻止してきた。そのために大手プロダクションによる団体も立ち上げてきた。
すなわち「引退」というのは言葉通りではない。某歌手の時にも触れたが芸能界には「ある交換条件と引き換えに、(マスコミを含む全音楽業界からの、事実上の)永久追放」という道もあるのだ。
安室の場合、そうでないことを祈るばかりだ。
パフォーマーは作詞作曲をしていないので、ライブで稼いでいないと、収入(ヒット曲の印税など)が入ってこない。無理やり歌手に(手ほどきしながら)作詞をさせ、最盛期後の生活を保証する他の事務所の方針を羨ましく思う。