島ぜんぶでおーきな祭(第九回沖縄国際映画祭)に行ってきた。2年前から宜野湾コンベンションホールを引き払い、那覇を拠点にしたことが驚くほどの成功を収める結果になった。

宜野湾はリゾート感覚あふれ風光明媚な会場だが、いかんせん交通の便が悪かった。那覇で名門・桜坂劇場(3スクリーン)をメイン会場にすることによって、映画祭を知らない人でも会社帰りや休日に飛び入り参加することが可能になった。

悩みの種であったイベントスペースも那覇の「波の上うみそら公園」が活きた。セレモニーには地元の人たちが駆けつけ関係者が入れないほどの盛況ぶり。ブースも沖縄各地の地方色豊かな出店が並び、庶民目線が加わった。

吉本がアジア数か国に展開している「アジア住みます芸人」の中からインドネシア在住の3人組お笑いトリオ「ザ・スリー」のお披露目もあった。のっぽ、チビ、デブのわかりやすい「日本からジャカルタへやってきた3人組芸人」。33歳が2人、30歳が1人。日本のバラエティ番組の過飽和状態を脱して覚悟の崖っぷち・異国挑戦だ。彼らのユーチューブの投稿動画「Tidak Apa Apa」は、彼らの努力が実を結び、再生回数は、なんと630万回を越えた。インドネシアの若者に認知されたと言っていいだろう。

3年前、吉本選抜社員5名によるインドネシア先遣隊に随行した時はCOWCOWの「あたりまえ体操」インドネシア語バージョンPVを、各メデイアに売り込んだものだった。なにしろ4日間、平身低頭して局役員、レコード会社幹部らに、iPadで紙芝居さながら鑑賞してもらって審判を仰いだのだ。再生時間1分44秒の間は全員、心臓が止まりそうだった。皆、むっつりと、「笑いがインドネシアっぽくない」、「言葉が硬い」、「もっとオーバーアクションに」、と言いたい放題だった。全員深く落ち込んだ。ただ、その後、ダメ元で見てもらった現地のナンバー1女性アイドルグループ「チェリー・ベル」9人組(当時)だけが唯一、無条件で、キャッキャッと喜んでくれた。これまたダメ元で「今晩、みんなのSNSで拡散してくれない」と頼んでみた。スターの呟きは彼の国でも効果絶大だった。帰りの空港でユーチューブをチェックしていると急に数字が伸び始め、成田到着時には数千回に達していた。日々、記録を更新し続け軽々と100万回再生を達成した(現530万回。COWCOWはインドネシアのCMに起用されるまでになった)。あのときの先遣隊の喜びは言葉では尽くせない。当時の選抜メンバー隊長・坂口大輔に沖縄で話を聞いた。彼によるとザ・スリーに関して、COWCOWの件は一切リンクしていないそうだ。COWCOWの成功体験を利用せず、ザ・スリーがゼロから自分たちの道を切り拓いたそうだ(ザ・スリー、えらい!)。3年前の先遣隊メンバー(坂口、小口、佐々木、広瀬、松木)がそれぞれ今は出世して要職にあるため、なかなか5人全員で再訪する機会はないがインドネシアは親日で中間層、特に若者層の増加国。お笑いの需要が高いので、なんとかまた連絡を取り合い、現場に貢献したいとのことだった。

今回、吉本が招聘した台湾デビューの路上ドラムシンガー、ホワイト(羅小白)ちゃん(22)とも話した。韓国・少女時代デビューは彼女が15歳の時なので、K-POP第一世代はお姉さん世代のもの。彼女たち世代は圧倒的に「アニメソング」ファンが多い。K-POPサウンドはもはや標準仕様で、それを進化させた音楽傾向に向かっている。J-POPは?と尋ねると、かなり考えてから「安室奈美恵、中島美嘉・・・」。「でもアニソンは日本がいちばん!」とフォローしてくれた。「台湾、中国、韓国のアニメが今、凄い勢いで増えているが、クオリティは日本がダントツ!」。

ホワイトちゃんのお気に入りは「進撃の巨人」で男性誌ジャンプ派だそうだ。今でも週末は一人で路上ドラムライブをやっていて、繁華街の一角は群衆でお祭り状態。もはやホールクラスの押せ押せの人波だ。生ライブは最低でも2時間、最長4時間のパフォーマンスというから日本の路上ライブとはケタが違う(父親が届け出申請、ドラム運搬)。台湾のSNS事情はフェイスブック一色だそうで、彼女のFBフォロワーも百万の大台を越えた。ホワイトちゃんのグッズ販売は絶好調だが(ブランドを立ち上げている)、ネット人気(再生回数やフォロワー数)のマネタイズは、インドネシアでも台湾でも、依然手探りが続いている。

無料サイトの大人気から、リア充スターへの最後の、あと一段が遠い。

PPAPの如く、浮動票の寿命は儚いだけに、ネットスターたちの模索は続くだろう。