さて、20周年を迎えた志摩グレですが、もちろん出来た頃は三重の新鋭でしたよ(笑)
そもそもは若い頃に会社の先輩たちがやってた磯釣り大会があり(当時は磯釣りイカダ釣りが趣味の人、けっこういた)
渡船に乗り始めた私に、おいでおいでと(笑)まぁ会社の付き合いもあるし、的な感じで参加
グレ、チヌ、マダイ、イシダイ、イガミの1匹長寸という、簡単で、ユルくも楽しい大会でした
しかしながら、これらの1匹長寸にグレで勝とうと思ったら45cmクラスを釣らないと厳しいので、グレ狙いの私は毎回勝てませんでした
そんな遊びの大会もありましたが、自分はどんどんグレにのめり込んでいきます
が、若いとハナから初心者扱いとかされるし・・・
やっぱ何々クラブ、会、の人たちは良い磯へ上がっているような錯覚・・・
情報の無かった当時、名人と呼ばれるような人はどんな釣りをしているんだろう??見てみたい
そして平日でも人だらけだった当時、磯での些細なトラブル・・・
やっぱりクラブに入ったほうが良いか・・・
これまた情報の無かった当時、やはり大きくて名人のいるクラブなら良いんじゃないかと
で、30歳で大きな本格クラブに入ります
もちろんルールはグレのみなんですが・・・
会社の先輩が「大会に人が集まらなくなった」とかこぼし始めたので、私が大会を主催することに
名前は「大道カップ」
同じように他魚OKの一匹長寸なんですが、グレだけは+10cmというルールにしました
これが今の志摩グレルールの元
クジで湾内行った人も、渋~い磯に上がった人も、価値ある美味しい魚の人も、他魚で逆転できるっていう
まぁ何回かやって自分がだいたい勝ってしまいましたが(笑)
なんか自分でもクラブやれそうと思い上がってきました(爆)
私が主催するのを、まだ若いし甘いって思ってた人もいたかもですが・・・
大きい方のクラブは本格的なだけあって、初めて経験するような事ばかりでした
必至で頑張って割と良い成績のときもありましたが、お金も掛かるし200人もいればいろいろあります
自分はどっちがいいのか、迷ってました
トーナメンタ―、テスター、モニター、全国大会、なんて言葉がウルトラ光り輝いて見えた頃ですが・・・
三重県の名人さんはみな自分のクラブを持っています。そういうものなのかな?
迷ってたときにキッカケがあり
他人が作ったものに文句言っててもしょうがないわ
もういいわ、全部自分でやるか!って
他には頼らない。だから、しがらみ無し!
メーカーにも釣具屋にもクラブにも、従来あったものには頼らない
42号線沿いは他クラブに任せて、260号線沿いの志摩半島中心のクラブを作ろうと
志摩グレ会ってそういうこと。あと当然ながら私の出身が志摩だから(笑)
このとき、一緒によく釣りに行ってたのが地元の松田さんで
「クラブ作ろうかな?」と打ち明けると「なんでも言ってくださいね!」という返事
また例会に来てください、とよく誘われていた愛知の草野さん、うちも協力します、一緒にやりましょう的な感じに
ワッペンクラブ的な感じ(会費とかも安く)と本格クラブの中間というノリ
この3人から広がっていったのが志摩グレ会
まだネット黎明期で釣りのHPもそんなに無い時代・・・
daidoさんがクラブ作ったって入ってくれる方も多くて、今でも感謝してますね
昔のバナー、パソコン得意な東京の仲間が作ってくれた
本当は名前に「紀東」とか横文字とか使いたかったんだけど、紀東と表するにはまだ34歳の若造だったし、横文字使うほど若い人は少なかったので(笑)
横文字は・・・初期からステッカー英語にしたし、紀東は15周年から冠して「紀東志摩グレ会」と改めました
ところが自分でやってみて、これが大変な苦労
お気楽に、と思ったけど大クラブの中に居たころより余計に手間がかかる羽目に
いろいろ思ったけど、先人たちは苦労してカタチ作られていたのですね
一時は60人超えてメチャ忙しかった~
管理しきれないので紹介者がいないと入れないことにした
あのままだと100人行ったかもしれません
なんか、紹介者がいなくて入りたい人が入れなかった話も聞くけど
今は落ち着いて楽しめてますね
やっぱこのスタイル(しがらみ無し)が良いな