イメージ 1  「クラブ入会と大会挑戦」



 98年。自分のグレ釣り・・・ずっと独学に近く、確証は無かった。やはりクラブに入る必要性を感じていた。 そこで大きなクラブに入りメーカーの大会にも多く参加してみることに。投稿記事も本名にした。






 がまかつのサオが良かったし、三重県で全国的に有名な三原憲作名人の釣りが見たかった。松田さんの誘いもあり、竿友会に入った。松田さんはこの時竿友会の2年連続チャンピオンと知りビックリ。で、「お前ならええとこ行くぞ」と言ってくれたが・・・・。






 10月、初めての月例会は錦。黒崎東で横には三原憲作名人。私がキープサイズを6匹、名人は後からサオ出し、他の人の指導をしつつ5匹。これで参加40名中で例会初出場・初優勝に。


同月ダイワグレマスターズ地区予選。投石で皆ボーズ状態の中、26・35cm2匹(写真右)で200名中20位入賞。11月がまかつG杯地区予選、70名中10位(横井公一さんが連続優勝した)。月例会は梶賀、40名中7位で、一緒に上がった木村さんと仲良くなる。




 

 99年冬、紀東のグレはやや不調で、自分も30前後ばかり。3月の月例会は島勝だったが小荒れで内磯。そのためチヌOKのルール。チヌ39・46・53・55.8cmと爆釣で、50人中2位。その勢いで憧れの竿友会チャンピオン戦へ駒を進めるが、あっけなく初戦ジャンケン敗退・・・・・。





 ずっと投稿を続けていたつりニュースより、堤防グレの原稿依頼。話は連載へと移り、「堤防でグレゲッチュー!」が連載開始。4月、G杯磯チヌ地区予選。寒い雨の中、船中一匹のグレを手にし、60人中6位で地区予選突破!。兵庫の家島決定戦へ出口益男さんと出かけるも、敗退。家島リベンジに燃える。






 5月、好調の紀伊長島へ。丸山でグレ45cmゲット。つりニュース連載のために堤防釣行が多かったが、越賀テトラでグレ33.5、チヌ52cmをゲット。7月、つりニュースより某製品で記事の依頼。半夜の錦の磯でグレ34cmを上げ小成功、大谷義正名人と少し喋る。夏場、バッカン浮かべて泳いで近場の磯へ上がる方法で、釣果を上げる。





 10月、つりニュースより、つり作戦で堤防グレを、との依頼。これを引き受け、取材でも相差堤防で30cmを上げ表紙を飾る。記者の方にやたら凄いとおだてられる。次はぜひ沖磯で取材やりましょう!、とのことで、オープンしたばかりの阿曽浦とせん丸へ行くことに・・・・。



この時はただボーズ食らったらどうしようと心配してばかりだったが、このシーズン紀東は絶好釣を迎える。
年間釣行90日、堤防・地磯メインでそれまでは月に1~3回だった渡船もしだいに毎週渡船という状態に入っていく・・・