日本では「青い影」として紹介されている。 A Whiter Shade of Pale プロコル・ハルム PROCOL HARUM の 1967年5月12日シングルリリース
作詞 キース・リード(Keith Reid) - lyrics 作曲 ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker) - vocal/piano、マシュー・フィッシャー(Matthew Fisher) – organ
ミック・ジャガーが最高のR&Bバンドだと称賛していたゲイリー・ブルッカーのバンドだったが、売れないまま解散してしまい、新たにメンバーを集めていた時、詩人のキースと知り合い、彼の詞に曲をつけたいと強く思い、演奏者5人に詩人が加わった変則グループで再出発。
マシュー・フィッシャーの教会音楽を思わせる、オルガンによるイントロダクションは、バッハの”管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」”からの引用と言われている。
クラシックを取り入れたロックを作りたいというゲイリーの構想で出来上がったものだという。
1967年5月12日に発売され、2週間で38万枚程を売り上げた。
イギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得し、アメリカでも5位を獲得するなど全世界でヒットを記録した。
生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げており「人生でベスト3に入る曲」と語り、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」とまで発言していた。
日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、ロックといえばエレキギターという先入観を打ち破られた松任谷由実はこの曲をきっかけに自作の曲作りに火が付いたという。
1988年に日産自動車から発売されたシルビアのCMソングに使用されたのを始め、多くのCMやTVドラマなどで使用されている。
2005年、マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした。
フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。
一方、ブルッカーは「青い影は、フィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。
2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡したが、当然ブルッカーは判決を不服として控訴した。
2008年4月3日、控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした。
しかし2009年7月30日、貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した。
これによって長期間に渡る法廷闘争に終止符が打たれた。
松任谷由実 - アルバム”日本の恋と、ユーミンと”(2012年)に英語で収録。
演奏にプロコル・ハルムが参加している
本作品は、難解で著名な原詞をどう解釈したら良いかに悩み、苦悶していることを音楽のボランティア活動で知り合った、ピアニストの(翻訳のプロでもある)石橋浩子さんに漏らしたところ、ほどなくして的確でとても分かりやすい対訳をして送ってくれました。
一気にイメージが湧き上がることとなり、それをベースとした日本語の歌詞を作ることが出来ました。
紙上ですが、感謝を申し上げます。
尚、初稿ですのでいろいろと不備もあり、とりあえずの過程としてのアップです。
後日、改訂版を必ずアップすることを前提としていますので、歌も含めてその差異を観ていただければ幸甚です。
訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.182 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured