ラスト・ワルツ
La Dernière Valse ミレイユ・マチュー
& The Last Waltz エンゲルベルト・フンパーディンク
本編は、江口純子氏のPf.伴奏のVer.1 と私の地元のコミニティプラザ主催の「歌声喫茶」で良く知られている、一般的な和訳の歌詞で会場の皆さんとパフォーマンスしたVer.2 の二本立てです。
年寄りの冷や水で、つたないGt.と時に稚拙なハモリなどを担当させてもらっています。
「ラスト・ワルツ」の原曲は、イギリスの歌手エンゲルベルト・フンパーディンク Engelbert Humperdinckが1967年に発表して世界的なヒットとなった楽曲。
作詞・作曲は、バリー・メイソン、レス・リード
第1位(全英シングルチャート)
第1位(アイルランド)
第25位(Billboard Hot 100)
第6位(Billboard Easy Listening)
この年の9月6日から10月4日にかけて5週連続で全英シングルチャートの1位を記録した。
フランス語版はミレイユ・マチューにより、1967年にシングルとして発売。
タイトルも「ラスト・ワルツ & La Dernière Valse」で、内容は英語版の翻訳になっているようです。
その他、アメリカのペトラ・クラーク(1968年9やコニー・フランシス(1969年)等もアルバム収録。
日本では翌年の1968年2月に岸洋子が、「ラスト・ワルツ」としてリリースしてヒットさせました。
後年、尾崎紀世彦 - 1971年のアルバム『尾崎紀世彦ファースト・アルバム』に収録。
小野リサ も2003年のアルバム『ダン・モニール』にフランス語版の「La Dernière Valse」をカバー。
岸洋子は1962年に「たわむれないで」でレコード・デビューをし、1964年に「夜明けのうた」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、知名度をあげ実力を発揮。
シャンソン界では「魅せる越路・聴かせる岸洋子」等と言われていたようです。
しかし、1970年に膠原病という難病にかかり入院・闘病生活を余儀なくされました。
そんな中、「希望」が大ヒットして、二回目のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞して、地位を確立。
この年の大賞は「今日でお別れ」だったようですが、入院中の岸は授賞式に出席できず電話での挨拶だった。
もし、出席出来ていたら大賞は「希望」だったろうと菅原洋一が吐露していたとも言われている。
翌年には膠原病を一時克服し退院して再起しましたが、後遺症が悪化し1992年12月11日に57才という若さで他界しました。
訳詞・歌 Sima
Ver.1
Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.181 (初稿)
Ver.2
Pf. 石橋浩子 Gt. Sima
in 習志野市民プラザ大久保主催「歌声喫茶」
歌・Topaz (Hiroko & Sima)
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured