知らなかった Non Sapevo (ミルバ MILVA) カンツォーネ / 訳詞初稿 Sima | simachyanのブログ

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シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


知らなかった Non Sapevo ミルバ MILVA 作詞:B.Pallesi 作曲:P.Calvi

Milva 1963年サンレモ出場した時の入賞曲。
日本では1964年6月アルバム「ミルバ・イン・トゥキョウ (MILVA IN TOKIO)」がキングレコードより発売され、知らなかった (NON SAPEVO) 収録。
他には、ラ・ノビア [伊] (LA NOVIA) .ミロール [伊] (MILORD) ウナ・セラ・ディ東京[日] (UNA SERA DI TOKYO) リコルダ (RICORDA) タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) 等がみられる。 
1996年には「ミルバ・日本語の歌」が発売されて、日本語詞で収録される。
1970年の来日記念盤にも収録。

ミルバは、1939年7月17日、イタリア生まれ、家族を支えるため10代の頃からダンスホールで歌い始めます。
映画「麗しのサブリナ」に出ているオードリー・ヘップバーンに似ていると気付き、初興行の時に髪を短くサブリナ・カットにして「サブリナ(Sabrina)」という芸名で、トスカーナ・エミリア・アペニン地方のダンスホールすべてを回ったりしていた。

59年にイタリア国営放送のコンテストで優勝し、翌年にデビューし61年から9年連続でサンレモ音楽祭に出場してます。ミーナ、オルネッラ・ヴァノーニと共に3大プリマ・ドンナと称されました。
数々のヒット曲を生み出し、60年代を通じてポップス・シンガーとして大きな人気を博した。
70年代に入ると活動の場を広げ、オペラに挑戦するなど、自身の表現領域をさらなる高みへと押し上げる。
1971年に「ミルヴァ・カンタ・ブレヒト」を発表して以来ヒット・メーカーとしてよりも芸術性を重視するようになり、イタリアのカンタウトーレのフランコ・バッティアートやエンツォ・ヤンナッチの作品集の発売、オペラへの出演、アストル・ピアソラとの共演、といった活動を行っています。
イタリアよりもむしろドイツや日本での人気が高く、特に日本にはたびたび来て毎回異なったテーマでコンサートを行っているほか、日本語によるアルバムや谷村新司の曲をイタリア語で歌ったアルバムなども発売しています。
以降、長きに渡り現役であり続け、日本でも数多くの公演を行なっている。
日本の楽曲もカバーしていて【昴】【夜明けのスキャット】【過ぎ去りし想い出は】【ウナ・セラ・ディ東京】1964年Una Sera Di Tokio等々。

参考
 「愛遥かに」
   https://youtu.be/615-Wv2bdoo
  タラッサ
   https://youtu.be/NTlHs_dJOps
  夜のタンゴ
   https://youtu.be/fq5tP2kx83s

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.179 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos