いきなりですが「Lord Mayo」というアイリッシュミュージックをご存知でしょうか。
元々はあまり有名な曲ではなかったそうですが、大人気アイリッシュバンドLunasaの1stアルバム1セット目の1曲目に使われ、世界中のアイリッシュミュージックファンに衝撃を与えて以来、大人気の曲となりました。
↓の冒頭の一曲です。ほんとかっこいい…
この曲はマーチ、つまり行軍曲というタイプの曲で、タイトルから察するにコナハト地方のメイヨー地域を治める伯爵を、おそらく讃える曲なのでしょう。
白地図屋さんから拝借。青いところが現代のメイヨー県
こちらはよく演奏されるより伝統的なスタイルのもの。装飾音ハンパない!!
この曲ものすっごく大好きなんですが、ふとここで讃えられるメイヨー卿って役職というか称号だし、歴代メイヨーを治めた伯爵はたくさんいたわけだし、実際のところ誰の事なんだろうと思い、ネットで調べてみることにしました。
しかしアイリッシュミュージックに限ったことではありませんが、伝統曲なんて長年楽譜にまとめられることすらなく、口伝で伝わったものがほとんどで、タイトルがはっきりしてるだけでも奇跡的なのに由来なんてわかるのだろうか…と不安でした。
とりあえず”Lord Mayo”で適当にググってみると…
それらしいところでまず出てくるのはthe sessionというサイト。
アイリッシュミュージックファン御用達のサイトですね。アイリッシュミュージックのWikipediaと言ったところでしょうか。曲の別名や誰の録音がどのレコードにあるかなどがまとめられ、さらに閲覧者がコメントできるようになっています。
ずっと見ていくと「フィアナの凱旋」という別名(なにそれかっこいい)、演奏バリエーションについて…とある中で
「元々はメイヨー卿への謝罪として18世紀のハープ奏者Devid Murphyにより歌として作られた」
ってコメントがある!
なんと!!!!作曲者名発見…!!手がかり見つかるの案外早かった!
で、David Murphy!!!誰なの!!!!!!
とまた適当にググってみると
おっ!!!
なんとなんと!wikipediaに記事があるじゃないか!!!!!
wikipedia:David Murphy (composer)
それによるとアイルランド生まれのアメリカの警官、フランシス・オニールさん(1848生まれ)がメモっといてくれただと!?神か!!!ありがとうございます!!ありがとうございます!!!!!
とはいえオニールさんの時代で既に作曲から軽く200年が経っていますね。ええ。オニールさん、有名なアイリッシュミュージックの演奏者たちと深く広い交流があったそうで、その人たちから聞いたのかな?
それとも1800年出版の本に楽譜の掲載があるらしい曲なので、そういうものに記述があったのかもしれませんがソースの怪しさはぬぐえません。しかしとりあえず、オニールさんの話を信じましょう。
デイビット・マーフィーDavid Murphy…17世紀の作曲家でハープ奏者…
この曲、当初はマーチではなくエアーとして作曲されたらしいですね。
ということは、さっきのThe sessionのページに貼られてたこの動画が原曲に近いのかな。ちょっと聞いてみよう。
1:00~曲がはじまります。
勇ましいマーチとはまた違った趣…
いやそんなことより、この人…前フリで曲のいわれを紹介してくれているぞ!!!
この男性の解説とwikiをまとめると…
どうやらマーフィーさんはメイヨー卿の庇護を受け、その屋敷にいたハープ奏者だったようですが、あるクリスマスの日に何か重大な失敗をしてしまったようです。
それにより数年間屋敷を追い出されていたマーフィさんは、友人の助言により、またあるクリスマスイブの日に戻ってきてこの曲とともに謝罪をしたのだそうです。
歌詞はこちらのサイトに英訳とともに掲載がありました。
http://www.celticlyricscorner.net/dochas/tiarna.htm
歌詞をみると…大体のところはメイヨー卿を讃えて持ち上げる内容と、クリスマスの事件を終わりにしましょうという事、またメイヨー卿の庇護の下に戻してほしいことなどが歌われているようです。恐らく。たぶん。きっと。(果てしなく自信がない…)
ごめんなさい的なことは言わないんだね…
うーん。かっこいいマーチ曲のイメージと歌詞の内容とのギャップが…
そしてメイヨー卿がどのメイヨー卿かも明示してくれています!!ありがとうwikipedia!ありがとうオニールさん!!
えーっと デイビット・マーフィーは初代メイヨー子爵Tiobóid na Long Bourkeの庇護の元にいた天才で…
つまり「Lord Mayo」のメイヨー卿は、ティ…ティオボイド?ナ ロング ボ…ボークさん?なのね???
とリンク先に飛ぶと…
wikipedia:Tibbot ne Long Bourke, 1st Viscount Mayo
英語の名前ではTibbot na Long Bourke さんと…ティボット ナ ロング バークさん…?
アイルランド議会の議員で…メイヨー子爵の創設者…
ふむふむ…あれ?ティボット…バーク???
ナ ロング は「船の」という意味で船の上で生まれたから、と。
へぇぇぇぇ?????
ご先祖はノルマン人で、典型的なノルマン系アイルランド人の一族である…
ほほぅ…??????
彼の母親は有名な海賊女王グレイス・オマーリーであり…
ん??
あああぁぁぁぁあああーーー!!!!!
あなた!あの!グレイス・オマーリーの二番目の夫で一年で追い出されたあの「バーク」さんとの息子、エリザベス女王配下のビンガム卿に捕まっちゃった、あのTibbot君かーーー!!!!
(前のブログを見てね!!!グレイス オマーリーについて)
議員で子爵だなんて、大きくなったじゃないのーー!!!(とはいえビンガム卿につかまっちゃった事件の時で27歳)
こんなカッコイイ曲作られちゃって…立派になって…うぅ…お母さんもさぞ嬉しいでしょう!!!
いやー。いやーもう。別々に知っていたグレイス・オマーリーと「Lord Mayo」がつながるとか…!10年来の知り合いが実は親子だったと判明したようなもので、あなたたちー!!そうだったのかー!!と一人でそれはそれはびっくりしたし感動したのです。
ちなみにティボットくんの奥さんの名前も「メイヴ」だそうです。何か知らんが、やっぱりな!!
いやー。見事に判明してよかった。すっきりすっきり。
このビックリを話したくて前回グレイス・オマーリーの話をしました。えぇ。あれは前フリだったのです。
しかし親子2人そろって曲が作られ現代まで残るなんてすごい親子だなぁ。
ここまでの一連の話は全てインターネットで調べたことです。
ユーラシア大陸の西の最果てにある島で作られた曲について、大陸の東の最果てにある島で350年たってからでも調べられるんだから,本当にインターネットというのはありがたいものです…
そしてそれ以上に、この曲について書き留めた人、忘れ去られそうになっていたところを掘り起こし、全世界へ発信してくれた人がいて、今私が楽しむことが出来るのだと思うと、とても感慨深いです。
おしまい
フランシス・オニールさんメモ
アイリッシュミュージックの一大都市ドニゴールの出身。
船で働いていたときに、移民としてアメリカに渡ったアンナさんと運命の出会い。
シカゴに移住、警察官として働き,所長にまでなった。
自身もフィドル、フルート、イーリアンパイプを演奏し、有名な演奏者たちとも広い交流があった。
退官後、それまで収集した曲をまとめた本を複数出版し、アイルランドの伝統曲やダンスに多大な影響を及ぼした。
この人がいなかったら今に伝わらなかった曲も多いのだろうなぁ。