「シュメール神話集成」杉勇/尾崎亨 ちくま学芸文庫
3イシュタルの冥界下り
冥界で死んだイシュタルを救うためにエンキが使いをだす。
冥界ではエレシュキガルが病にかかっている。それはお産によるものらしい。
ギリシャ神話では冥界では子供は生まれないことになっているらしい。実際に冥界の王ハデスには子どもがいない。
メソポタミアの冥界の女王には子どもがいるのだろうか?
しかしこの部分は,エレシュキガルは死産だったため悲しみにくれ病になった,という解釈があるようなので,やはりメソポタミアの
冥界でも子供は生まれることはないのだろうか
ともかくイナンナの指示でニンシュブルが実行した「大きな肛門をかく」というのがどうにも,どういうことか気になって仕方がない。
肛門…しかも大きいんだ…そうなんだ…注釈に「大きなお腹」という解釈にも触れているけど,それはそれでどういうことだろう。
太っているのか,あるいは妊娠したおなか?イナンナの従者であれば妊婦でも似つかわしいような気もするかも?
あと冥界でイナンナに「死の目」で死をもたらした裁判官たちや,イナンナ復活後に身代わりを探しに同行したガルラ霊たちなど,冥界のみなさんがイナンナを「イナンナさん」呼びしているのがすごく可愛い。地上では偉いイナンナでも,冥界の主人はあくまでエレシュキガルであり,さらには身ぐるみはがされ普通の使者と変わらない状態だったイナンナに対して冥界のみなさんはそのくらいの扱いなんだな。面白い。
断片で死んだドゥムジを嘆いて姉のゲシュティンアンナが悲しみで服を割いたり頬をひっかいたりしている。ギリシャ神話にも悲しみに暮れる様子について同じしぐさが出てくる。とってもおもしろい。
つづけてゲシュティンアンナは死んだドゥムジへのよびかけとして「ああ私の弟よ,『妻もなければ』子供もいない若者よ」という。直前で当のドゥムジがイナンナの兄ウトゥに対して「あなたの妹を妻にもらいました私」といっているので,この断片でもドゥムジとイナンナは夫婦なんだろう。それなのに何故ゲシュティンアンナはドゥムジを「妻もない」といっているのだろう。死んだ今やこれまでの家族も友人もなくなってしまったようなものだということか,それとも弟をこんな目に合わせたイナンナは妻なんかではない!ということだったり?
ゲシュティンアンナは「妻もない」につづけて「友人もいなければ連れ合いもない」といっているが,妻と連れ合いの違いはなんだろう?ふつう日本語では連れ合いとは配偶者を指すかと思うけど,友人と併記されているということは生涯の親友とかだろうか。ギルガメシュとエンキドゥみたいな。原語ではどうなっているのだろう。
このはなしで一番気になるのは冒頭の,イナンナが冥界へ下っていく道中つぎつぎに色々なものを投げ捨てていくところ。
最終的に七つの神力を得ているが,それは同じくウルクのエアンナ神殿他,計七つの神殿を投げ捨てたことによるのだろうか?
一番初めに天と大地を投げ,そこから神官の位(注釈によれば髙い身分を示す)二つをなげすてている。
このお話ではイナンナは天と地の女主人となっているので,その天と地を捨てるのは支配領土を捨てることだろうか。
私はこれは,冥界にくだるためには地上,天での高い身分を捨て,一介の神,なんなら人間と変わらないくらいの立場まで自分を低くしなければいけないということなのかなと思ったが,いったいどういう意味なのだろう。少なくとも,七つの神殿を捨てた後に神力を得たのとちがい,こちらは引き換えに得たものはないようなので,同じ捨てたという行為にしても全く別の種類の行為なのかなと思った。