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タイトルにあります「プレゼントは生活必需品!?」という発想は、西野亮廣さんの本「ゴミ人間」を読んでいる時に、ふと思い付いたことなんですが、

 

「買ったことのあるもの」と

「買ったことのないもの」の線引きは、単純明快で「生きていく上で必要か否か」でした。

 

というような文があります。

 

この文章を読んで、自分自身ではどうかと考えてみると…

 

シャンプー、リンスやトイレットペーパー、食品や飲み物、など生活必需品には優先的にお金を使っています。

その中に、「プレゼント」があったんです。

 

仕事柄なのか、モノを贈ったり、貰ったりはよくあります。

それでも、本当によく「贈答品」にはお金を使っているんです。

それは、プレゼントが生活必需品だからなのですが、

「何でプレゼントが生活に必要なんだろう?」って、思いました。

 

それは、

プレゼントが「気持ち」をモノとして表現したもの

だからなんじゃないかと思ってます。

 

「ありがとう」って感謝=返礼品だし、

「おめでとう」って優しさ=お祝いだし

「大丈夫?」って思いやり=お見舞い

 

っていう気持ちをモノとして贈ることがプレゼントで、

この気持ちの贈り合いは、生きていく上で、欠かせないものなんだと思います。

 

それが何でかって考えると…

生活の本質は、「たすけ合い」で成り立っているからだと思うんです。

 

例えば、

お米を買うにしても、実は「たすけ合い」になっていたりします。

 

僕は、お米を自分で作ることができないので、スーパーに買いに行きます。

スーパーの店員さんにお金を払って、お米を手に入れます。

 

お米を手に入れたことで、僕は今日、明日以降の食事を確保できました。

 

でも、米農家さんやスーパーのオーナー、店員さん、宅配業者さんがいないと

お米を確保することはできず、食事を確保することができません。

米農家さんやスーパーのオーナー、店員さん、宅配業者さんに

生活をたすけて頂いています。

 

逆に、僕がお米を買わないと

米農家さんやスーパーのオーナー、店員さん、宅配業者さんは仕事が無くなってしまいます。

僕がお米を買ったことが、この方々の生活のほんの一部ですが、たすけている事になっているのだと思います。

 

こういう「たすけ合い」がいっぱいいっぱい積み重なってできているのが、

「社会生活」なんだろうって考えたりします。

つまり「社会生活」は、「たすけ合い」が基盤となって成り立っているのだと思うんです。

 

そもそも「社会」って、「たすけ合い」を前提に、デザインされている「仕組み」なんだと思います。

 

そして、人間は一人では、絶対に生きていくことができなくて、必ず人と「たすけ合い」をしていかないと

生きていけない存在なんだと思うんです。多分。

 

 

だから、「気持ちの贈り合い」って、生きていく上で、必要不可欠なもので、

それをモノとして、表現した”プレゼント”は、

僕にとって、生きていく上でも大切なことなんだろうな~…って

ボンヤリ考えていました。

ちなみに、ちゃんと心からプレゼントは選んで、贈りますよ!!

イヤ、ホントに!!

 

なんかこういう風に言えば、言うほどウソくさくなりますが、

本当です笑

 

 

で、結論ですが、

”プレゼント”は、人が「たすけ合って」生きていかなければならない生き物である以上、

実は、必要不可欠な生活必需品に分類されるのではないか!?と思っております。

それは、プレゼントが”気持ちを表現したモノ”だからです。

 

人は、「たすけ合う」以上、気持ちの交換が絶対に必要で、

気持ちの交換ができないと「信用」とか「信頼」が生まれないから。

「信用」と「信頼」ができない人と「たすけ合う」ことはできないし、

「たすけ合い」のできない人は、生きていけないから。

 

そして、この話の本質は、

人を思いやる気持ちを贈ることがどれだけできるか否かだと思っております。

その気持ちこそが、「たすけ合い」の源になる「信用」と「信頼」を生んでくれるのだと思います。

 

という訳で、

この記事を書いた以上、今日より明日の方が、人に気持ちを贈れる人間になるために、

まずは、「ありがとう」を増やす努力をしていきたいと思います。

 

本日も拙い文章に最後までお付き合い頂き、本当に本当に本当にありがとうございます。

(ありがとうを増やしてみました!!)

 

今日、明日も皆様にとって、喜び多い一日となりますように、祈っております!!

本日もありがとうございました!!