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昨年の12月から今年の1月の末日まで、初めましての人たちに2種類の方法で「自分は天理教を信仰している」ことを本音で語ってみました。

 

1,自己紹介的な段階で「天理教を信仰しています」という話をして、自分の本音を知ってもらう。

2,自分の本音を知ってもらった上で、自分が「天理教を信仰しています」を話をする。

 

という対社会的なミュニケーションの実験を繰り返した結果、②の方が「自分を前向きに理解してくれる%が58%高い」とう結果でした。

 

前に、本音を晒すことがツライって、話をしましたが、ここで辛かった部分って、「自分が天理教を信仰している」ということをを最初に言うと「宗教」っていう偏見がはいるなぁ~って思いました。

でも逆に自分を晒して、その上で、「宗教やってます」って、告白した方が、連絡取り合える出会い率が高いです。

 

これって人間関係の基本である「相手に思いやりを持つ」ってことの発展なんだろうなと考えています。

 

考えてみれば、当たり前のことで、「相手の価値観を尊重する」という前提が人間関係の根底にあると思うのですが、「自分が〇〇を信仰しています」と宣言することで、相手は自分の価値観を否定する人とういう認識をせざるを得ない

 

ということを改めて実感しました。

というのも、「宗教」は信仰している人に「絶対」であり、信仰していないその他の人の価値観、生き方を「否定」するものだというイメージが世の中に伝わっているということが分かりました。

 

 

ここに関しては、全宗教者が再確認してほしいですけど、

 

 

だって当たり前じゃん。

自分が「酒好き」で日本酒プレゼントされたら嬉しいけど、彼女は酒を呑めない甘党だったとして、日本酒をプレゼントしたって絶対喜ばないですよね。。。

 

そんな酒を呑めない甘党の彼女に「日本酒呑めよ!!プレゼントしたんだから喜べよ!!」

っていう状況が自分「〇〇教を信仰しています」宣言なんじゃないかなぁと思ったりしています。

 

 

これが悪いって言うことじゃないのですが、

例えば、相手が自分をフォローしなくてはいけない時に、自分の性格を晒す前に「信仰」があることを言うとどうしても「信仰」が悪者になります。

んで、逆を言うと、自分性格を晒した上で、相手が自分をフォローしなくてはいけない時は、「信仰」がプラスに働きます。「シマダは天理教があるから正直に言った。」とか「シマダは信仰しているからみんなが納得できるような提案をしてくれた」とかホントにあった話です。

しかも2021年12月から2022年1月でです。

 

だkらこそ、思うことが

自分の信仰は世界では「絶対」はないという自覚。

その上で、自分の信仰は「相手」の人生にどんな「価値」を生むのか?

を常に考えなくてはいけないなと。。。。

 

 

正直、「宗教」を「信仰」していることを、カミングアウトするだけでこんなに社会的な逆風を受けるとは思いせんでした。

甘かった(笑)

 

 

でも、今回、「宗教」や「信仰」に対して、抵抗ある人達の心情を知ることができてホントに勉強になりました。

 

基本は「イメージ」なんだということが分かりました。

だからこそ、相手の「価値観」を受け入れた上で、自分の「信仰」が「相手」の

人生でどう役に立つのか?

 

その問いに関わることで、自分の「信仰」を改めて考え直す機会になりました。

 

 

 

本当に辛かった!!心が張り裂けそうだった!!(笑)

でも、相手を知って、自分を知ってもらうことは、人間関係の基本!!(笑)

 

相手の人生にとって、信仰が絶対でない中で、人生のプラスにとってもらえるような話と向き合い方が「信仰」の形だと思う今日この頃です。(笑)

 

 

本日も最後までお付き合い頂き、ありがとうござます。

ホントに嬉しいです。

皆様の明日、明後日以降の日常が喜び多い日常であります様、祈っております。