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タイトルの事を今日、なんとなく感じました。

「人間が生きる」って、「選択」の連続だと思うんです。

「今の自分の現状や環境」を作っているモノって、「過去の自分の選択」だと思うんです。

そんで、「未来の自分」を作っていくモノは、「今日からの選択」の積み重ねだと思うんです。

 

でも、その「生きる」を作る源である「選択」の「選択肢」って、

自分自身で作れるモノじゃなくて、実は「自分の周りの環境」が作ってくれるものだと思うんです。

 

ここでいう「選択肢」の正体って、「経験」と「生きた情報」だと思うんです。

 

僕は、今36歳なんですが、小学校低学年の頃に感じた初恋の悩みなんて、今となれば、気持ちの落ち着け方とか、

その他諸々の解決方法なんて、今となってはいくらでも思い付きますが、当時は解決できない人生最大の悩みだったなぁ~って思います。

 

当時経験した人生最大の悩みって、言うのも「経験」を積み重ねた事によって、今となっては解決の「選択肢」が簡単に見つかります。

生きることは、問題解決の連続で、問題解決は、選択の連続で、効果的な問題解決の選択をする為には、「選択肢」が多いことが重要なんじゃないかと思ってます。

 

そんで、「自分の経験」以外の選択肢は、「生きた情報」で、それを与えてくれるのは、「周囲の人間」だと思います。

つまり「環境」や「家族」や「友人」、「仕事仲間」などの自分の力だけでは、何ともならない次元での事だと思うんです。

 

だから、「自分の人生は、全部自分自身の責任だ」って、なんか暴論だなって感じるんです。

僕自身は、周囲の人間に恵まれたからこそ、「生きた情報」に恵まれて、「人生の選択肢」に恵まれたと

つくづく感じます。ありがたいなって思います。

 

でも、それってすごく幸せで、稀有なことで、自分の人生を作っている「選択」が自分だけのモノではないって思ってます。

両親をはじめ、自分の周囲にいる人たちが「選択肢」を与えてくれたんだと思ってます。

 

だからこそ、「選択肢」を知らない状態で、人生を「選択」しなくてはいけない環境の人に対して、

「自分の人生は、全部自分の責任でしょ!!」っていうのが、生き苦しいなって感じています。

 

本当に極端なことを言えば、

アフリカの貧しい国の貧しい家に生まれて、日本の僕のような環境と同じような「選択」って、絶対にできないですし、

それは、自分自身の「責任」ではなくて、「環境」の責任だと思うんです。

 

だからこそ、「経験」を積んだ自分が、後輩たちに対して、「生きた情報」を与えられる人間になりたいなと思ってます。

「生きた情報(与えられた選択肢)」に基づいた「選択」の「結論」は、経験値になるけど、

「生きた情報」抜きの「結論の押しつけ」は、「生き方の押し付け」になってしまって、

「自分の生き方が正解だ!!君の生き方は努力不足だ!!」っていう差別や他人否定の前提になってしまうような気がしています。

かなり極端な考え方かもしれませんが、

自分の人生は、自分だけじゃなくて、自分以外の人たちの支えによって、成り立っている。

決して、自分一人では生きていけないってなんとなく考えてました。

 

まとまっていない考えですが、自分自身が家族や周囲の人たちへの感謝と謙虚を忘れないように、

今日、ブログに書いてみました。

 

本日も拙い文章にお付き合い頂きまして、ありがとうございます。

皆様の明日以降の日常が少しでも喜び多い日常になりますように、祈っております。

本日もホントにありがとうございました!!