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「陽気ぐらし」ってみんな言うけど、何なのだろう??

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なんか天理教の中にいるとみんな当たり前に「陽気ぐらし」って言葉を使ってるんですが、

僕は「陽気ぐらし」を簡潔に説明してって言われると「ウッっつ」って詰まってしまいます。

そんな感じで、陽気ぐらしって何なんだろう?って考えたこと、そもそも「陽気」って何だろう?って考えたことを

ボンヤリ書き連ねてみたいと思います。

よろしければ、お付き合い下さい。

 

まず「陽気ぐらし」って、何よ?って話なんですけど、

天理教的な感じで言うと、、、

1、神様が人間と世界を創造した理由

2、人間生活の究極的目標

みたいに感じで説明されることが多いです。

 

ザックリすると

1、「今」「ここ」に「自分」が生きている理由(存在理由)

2、どうやって生きようかって考える時の基準

 

みたいなもんだと思ってます。個人的にですが...

 

で、陽気ぐらしの個人(島田宏樹)的に定義すると

『世界中の人々が互いに認め合い、信じ合い、たすけ合う中で、

日常の出来事を喜びに変えて、周囲の人たちと喜び尽くめの生活をおくること』

って感じになります。

 

この定義は、あくまで個人的なものです。

天理教の公式見解とかどっかの天理教組織の見解とかではなくて、

2024年10月1日現在の島田宏樹が今こう考えているということですので、ご了承をお願い致します。。。

 

あと

「かしもの・かりものに日々感謝すること」

「世界中の人間は、神様に創られた兄弟姉妹であること」

などの教理が抜けてんじゃねーか!!って思われた方もいるかもしれませんが、

それは『世界中の人々が互いに認め合い、信じ合い、たすけ合う中で、』という文章の前提条件として、

含んでいるものと考えて頂けると嬉しいです。

 

んで、要約すると

「せっかく自分の人生を生きるんだったら、みんなで認め合って、たすけ合って、

自分ひとりで楽しむより、みんなと人生楽しんだ方が良いよね!?」

って感じです。

 

自分は陽気ぐらしをこんな感じで考えています。

 

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陽気ぐらしのスタート地点は「認め合う」ことだと思ってます。

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それと「陽気ぐらし」って言葉自体がすんごい抽象的なので、「陽気ぐらし」の定義や具体的な表現は、

一人ひとり違うものになるのは当然だと思っていますし、それでいいんだと思っています。

だって、みんな顔つきや体つきや得意や苦手が違うように、

「今」「ここ」で「自分」として、生きている理由や

どうやって生きようかって考える時の判断基準が

全く同じ人間なんて、世界中に一人も存在しないし、

10年前の自分と今と10年後の自分でも

「陽気ぐらし」の定義や具体的な表現は違うものなると思います。

それは生きている「環境」や「積み上げてきた経験・価値観」が違うから。

 

そういうことを前提にして、「自分と他の人は違うのが当たり前」「全て完璧な人間なんて存在しない」って認識から

お互いを認め合うことが「陽気ぐらしのスタート地点」なのではないかと思います。

世間で今話題の「多様性」とか「ダイバーシティ」とかがこれに近いのかなって感じてます。

 

月並みな言葉ですが、「みんな違って、みんないい」って言葉と体現できたら、すんげー人生楽しくなると思うんですよね!

むっちゃ難しいですけど...

 

でも、それが出来れば、

認め合い → 信じ合い → たすけ合い

って感じで、自分の人生の喜びの数も増やせるし、

世の中全体の喜びの総数も増やすことができるんじゃないかなぁと思っています。

 

この逆が、

求め合い → 疑い合い → 奪い合い

って感じで、これだと自分の人生の喜びの数は一時的に増やすことは出来るかもしれませんが、

結局は奪い合っているんで、世の中の喜びの総数は増えませんし、

自分の人生全体を通しての喜びの数も増やすことはできないんじゃないかと考えています。。。

 

「奪い合う」なんてこと人生でそうそうありませんが、

自分の正しさに囚われて、他人の価値観を否定しまうことが引き金になって、

知らず知らずにこういう心理状態になっていることはありえるんじゃないかと思っています。

僕も結構あります。特に気をつけないといけない人間だと思ってます。

気をつけます。

 

んで、他人を認めてあげられる心の状態のことを

「陽気」って呼ぶんじゃないかと考えています。

 

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他人を認めてあげられる心の状態は、どんな自分でも認めてあげられることから始まる

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他人を認めて「あげられる」ってことが重要なんだと思ってます。

英語で言えば「can」の状態。

心が、この状態になっている時の名前が『陽気』なのだと思います。

 

他人を認め「なければいけない」って、「must」の状態になってしまうと「正しさに囚われている」サインなんじゃないかなって思います。

そうなると苦しいし、結局、他人にも「求めて」しまい、喜びの総量は減ってしまうのではないかと考えています。

 

 

その状態を回避する方法として、

他人を認めて「あげられない」自分を「認めあげる」ってことが大事なんじゃないかなと思います。

 

だって感情が生まれる時の環境は、

自分でコントロールできるものと

自分でコントロールできないものがありますから。


だからこそ、できない自分を認めてあげることが大事で、少しずつ自分の良くないって思っていた感情や欠点みたいなもんを認められるようになったら、他人の良くないって思っていた感情や欠点みたいなモノも特徴とか個性とかに昇華できるようになってくるんだと思うんです。


じゃあ何で、自分を認めることで、他人わ受け入れる受容できるようになるのか?

ですが、


多分、それは

自分を認めることで「かりものである自分の存在」を受け入れられるようになって、自分の存在を安心して認められるようになるからだと思うんです。


この安心から生まれる感謝の感情が

人を受け入れる感情=認める心になり、


人を認める心から生まれる感謝の感情が

優しさになり、誠の心を生み出す

のだと思うんです。


この感情と心のサイクルが「陽気」で

周囲の人々と安心と認める心と優しさと誠を共有して、新しい感謝を作っていく日常を陽気ぐらしと呼ぶのではないかと考えています。


本日も最後まで拙い文章にお付き合い頂き、ありがとうございます!!

明日、明後日が皆さまにとって、喜び多い日々となりますよう、祈っております!

本日も本当にありがとうございました!