本日もご訪問頂き、ありがとうございます。このブログが皆様の喜びの種になれば、嬉しいです。

 

本日は、僕が、「路傍講演」(街角で天理教のお話をする修業)でお話させて頂く、

「かしもの・かりもの」の話をまとめてみたいと思います。

この話がもっと聞いて下さる方に理解して頂きやすい、聞きやすい話になればと思っております。

この「かしもの・かりもの」の話に対するダメ出し、疑問、もっとこうした方がいいなどのご意見がございましたら、

是非お聞かせ頂けると本当に嬉しいです。何卒、最後までお付き合い頂きますよう、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

天理教の神様のお名前は、「天理王命(てんりおうのみこと)」と申し上げます。

何も存在しない所から、この世界と人間をお造り下された「世界」と「人間」の「産みの親」であり、

今尚、その見えないお働きを以って、「世界」と「人間」をお育て下さっている「育ての親」である神様です。

 

「世界」と「人間」の産みの親であり、育ての親である事から、

私達、天理教の人間は、この神様の事を「親神様」と申し上げております。

 

親神様は、「人間の陽気ぐらしを見て、神も人間と共に楽しみたい」と思われ、

世界と人間を創造し、今尚、見えないお働きを以って、御守護下さっています。

その事から、人間と世界が存在する理由と人間生活の目標は、

「陽気ぐらしの実現」と教えて頂きます。

 

「陽気ぐらし」とは、

「世界中の人間が、互いに認め合い、たすけ合う中に、

日常の出来事に、感謝や喜び、尊敬などの意味を見出し、

喜びづくめの日常に変えていく生活である」

と私は解釈しております。

 

この「陽気ぐらし実現」の上に、欠かせない大切な教えが「かしもの・かりもの」でございます。

 

「かしもの・かりもの」とは、

人間の身体は、神様から借りているもので、

その身体を通して経験する人生の体験も

生まれてから今日までの環境も

また家族、友人などの人間関係も全て

神様から借りているもので、

「心」だけは、唯一、自分の物として使う事が許されている。

という教えです。

 

身体が神様から借りている物だという証拠に、

私達の身体には、自分の意思でコントロールできる部分とコントロールできない部分があります。

 

例えば、

心臓や内臓などのいわゆる自律神経が司っている部分は、自分の意思でコントロールすることはできません。

しかし、これらの自分の意思でコントロールできない部分こそ、生命維持に欠かせない役割を担っています。

その意思でコントロールできない部分が人間の意思とは関係なく活動していることこそ、

神様の見えないお働きによって成せることだと教えて頂きます。

 

また、手足や目、鼻、口などの自分の意思でコントロールできる部分が

自分の思い通りに使えるように、

準備、点検、整備して下さっているのも神様の見えないお働きによるものだと教えて頂きます。

 

このように神様の見えないお働きによって、人間は生かされているのですが、

神様が何を基準に、身体や人生の経験、人間関係などを貸し与えているかというと

一人ひとりの「心使い」に応じて、最適な「身体」や人生の経験、人間関係を貸し与えて下さっていると教えて頂きます。

 

「心使い」とは、

日常生活での「思うこと」「言うこと」「行い」の積み重ねであると解釈しております。

 

つまり、

人が喜ぶような事を思い、人が喜ぶような事を言い、人が喜ぶような事を行えば、

自分にも喜べるような出来事が起こってくる。

逆に人が悲しむような事を思い、人が悲しむようなことを言い、人が悲しむような事を行えば、

自分にも悲しまなくてはいけないような出来事が起こってくるということです。

 

この事を、「成ってくるのが天の理」と教えて頂きます。

自分の人生や将来を創っているのは、日常の「心使い」なんだと教えて頂きます。

 

仏法で言うところの「因果応報」に似ていますが、

「成ってくるのが天の理」と「因果応報」では、大きく異なる点があります。

「因果応報」は、自分の心使いが原因で、結果として日常の出来事が起こってくるという

全くの自己責任で完結しておりますが、

 

「成ってくるのが天の理」には、起こってくる出来事に、

親神様の「親心」が込められていると教えて頂きます。

 

その親心とは、

「この出来事を通して、陽気ぐらしできるように、心を成長させてほしい」

との親心が日常の出来事一つひとつに込められていると教えて頂きます。

 

つまり、日常に起こってくる悲しい出来事や理不尽な事、怒りを覚えてしまうような出来事も

神様からの「罪」や「罰」ではなく、

「早く心を成長させてほしい」という人間に対する神様の願いの現れであると

私は解釈しております。

 

 

この事を十分に踏まえて、

日常の出来事一つひとつに「感謝・慎み・たすけあい」の三つの意味合いを見出し、

「感謝・慎み・たすけあい」の「思い」「言葉」「行動」を積み重ねていくことで、

少しずつ「陽気ぐらし」に向かって、心は成長していくと教えて頂きます。

 

1日24時間、秒に直すと86400秒のすべてを「感謝・慎み・たすけ合い」の「心使い」で

積み重ねることは、とてもとても難しいことですが、

このうち1秒でも多く、「感謝・慎み・たすけ合い」に変えて、

1秒でも多く「喜び」を積み重ねることができれば、

少しずつ少しずつ心が成長して、

人生や日常に少しずつ「陽気ぐらし」が増えていくのではないかと思います。

 

 

私自身、天理教の教えを聞いてはいるのですが、只今お話ししたような「心使い」が出来ているかと聞かれると

「まだまだ足りない所だらけです。」とお答えすることしかできません。

お恥ずかしい話ではございますが、私が日常の出来事で反省している事をお話しさせて頂きます。

 

~日常のエピソードを話す~

 

 

 

 

 

というような感じで、「かしもの・かりもの」のお話しをさせて頂きながら、反省を繰り返している訳なのですが、

記事の最初にも書きましたが、

この話が、もっと聞いて下さる方に理解して頂きやすい、聞きやすい話になればと思っております。

この「かしもの・かりもの」の話に対するダメ出し、疑問、もっとこうした方がいいなどのご意見がございましたら、

是非お聞かせ頂けると本当に嬉しいです。何卒、よろしくお願い致します。

 

 

本日も最後まで拙い文章にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

皆様にとって、明日一日が喜び多い一日となりますよう、祈っております。

本日も誠にありがとうございました。