天理教のお話や神様のお言葉の中でも、「誠」って言葉がよく登場します。
「誠一つ」とか「誠の心」とか、表現は色々あるのですが、
何となく理解しているようで、今一つピンときてなくて、
最近はずっとタイトルの事を考える時間が多くありました。
そんな中で、高安大教会初代会長 松村 吉太郎 先生の
「誠一条こそ天理」というお話を拝読し、
「天理王命(てんりおうのみこと)と申すは、神様自ら示したもうた御名でありまして、天理はすなわち神様本来自身全体なる誠一条という意味であります。なぜならば、世界森羅万象一切はみな、天理の働きにより生じ、また、育つものにして、天理の働きがなければ生ずるものではなく、育つものではないゆえに、一切の物は天理によって生育するのであります。」
という文章が何故か、心に引っ掛かりましたが…
正直に言いますけど、先人の本当にありがたいお話なのですが…
お言葉が意味不明で、全く理解できず、馬の耳に念仏とはまさに今の自分だと思いました。
しかし、しばらくしたある時ふと…
「誠とは、神様の存在、神様の働き、神様の想いを、全てひっくるめて誠なんだ!!つまり神様そのものが誠なんだ!!」
といきなり思い付きました。
「成程!!
存在としては、天地抱き合わせの「この世は神の身体」という世界そのものであり、
また、それを支える天理 = 世界の見えないシステム・ルール(僕がフォローさせて頂いている めしょんさん の言葉を借りると「世界の絶対法則」)として、
また働きとしては、天理に基づいた「心使いのサイクル」で現れてくる事象・環境そのものであり、
また、人間の意志でない、命の維持する働き(呼吸や消化・栄養の吸収や心臓の鼓動など)として、
そして、想いとしては、「陽気ぐらしをさせてやりたい」という親心から世界と人間を創り、今なお世界と人間を育てて下さっている真理(意味・理由)そのものであり、
また、この真理から派生する、この世界に現れてくる全ての事象・環境のロジック(物事が起こる意味・理由)として、
目には見えないけど、神様が実在するという事実が「誠」っていう意味なんだ!!
おふでさきの「神・月日・をや」ってこういうことだったのか!!」と感じました。
「考えた」ではなくて、「感じた」が表現としては正解に近いと思います。
この悟りも「かしもの・かりもの」で神様が貸し与えて下さったものだと感謝しております。
そして「だから、誠の心を以て、物事に取り組めば、神様の自由自在の御守護を頂けるんだ!!」
という法則に気が付きました。まだまだ仮説の段階ですが…
誠の心とは、「陽気ぐらしさせてやりたい」という神様の心のことで、
「もらって喜ぶ心」から「与えて喜ぶ心」に成長していく心
とも教えてもらいます。
具体的には、「感謝の心」とか「思いやり」とか「今ある環境への喜び」とか「人の幸せを願う心」などで、陽気ぐらしのキーワードである「感謝・慎み・たすけ合い」から派生する心使いが「誠の心」ではないかと思います。
この人間の心の「誠」と神様の心の「誠」が一致すると、自由自在の守護を現して下さるのだと思います。
人間の「誠の心」が、
神様の「想い」である陽気ぐらしの守護を現したいという「理由」となって、
神様の「存在」である神様の身体 = 世界 の見えない「法則」に則って、
神様の「働き」である「事象・環境」が自由自在の守護として現れてくる事、
これが「誠一条」ではないかと思います。
ここが、冒頭の松村先生のお話の
「なぜならば、世界森羅万象一切はみな、天理の働きにより生じ、また、育つものにして、天理の働きがなければ生ずるものではなく、育つものではないゆえに、一切の物は天理によって生育するのであります。」
という「誠一条こそ天理」の核心部分にあたるのではないかと思います。
かなり大風呂敷を広げた話になってしましましたが、
これはあくまでまだまだ信仰至らぬ所だらけの僕個人が感じた、教えの悟り・仮説・個人的見解です。
この部分だけは、何卒ご理解を頂きたく思います。よろしくお願い致します。
本日も最後まで、拙い文章にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。明日一日も皆様にとって、喜び多い一日となりますよう、祈っております。今日一日も本当にありがとうございました。