Tama8960のブログ


収容者を運んできた列車が、引き込み線に放置されています。まるで物や家畜を

運ぶような、座席も何もない貨車です。



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ほとんど誰もいない中、老婦人が一人、慰霊碑を訪れていました。年のころから

すると、70くらいでしょうか。収容者の娘といった感じです。

イースターのお休みに、たった一人でこんなところに来ているのはやはり

わけがあるのでしょう。

奥の彫刻は、ここで餓死した女性をモチーフに作られた慰霊の像です。



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花をたむけている人がいます。とても悲しい像です。。。。。。



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たむける花がなかったけれど、何か気持ちを残したく、帰りのバスで飲もうと買った

小さな白ワインをおいてきました。本当は花がよかったと、後で思いましたが。




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収容所の外は、たまに通る車の音以外しない、見渡す限りの荒涼とした荒地です

あるいは休耕地かもしれません。

たぶん、誰も逃げられないように、どこまでも見渡せるようにしたのでしょう。

どこまでも平地が続いています。

隠れる壁もありません。こんな所では絶対に逃げられない。。。。

みんな逃げたかったでしょうに。。。



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ブラスツコウスキー。1944年。ここに没す。

各国の慰霊碑が並んでいます。今でも欧州の人々はECで一緒であるとはいえ

誰も、この戦争の事を、ドイツとの関係を忘れていないように思います。



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生き残った人々も5万人います。

これは収容された当時の写真。。。


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生き残ってから長い年月を経てからの写真です


生き残った人は、孫まで含めて数十人の家族を築いたり、作曲で名をあげたり

画家として成功したり、いろいろな道を歩んでいました

5万人から何百万人の命が生まれたわけです。


亡くなった5万5千人の、時空の先にも、この世に生まれ出でなかった数百万人の

人生や未来があったはずです


映画シンドラーのリストのラストで、生き残った人々がシンドラーの墓にひとりづつ

参拝していくシーンがあります

日本でも、シンドラーと同じようなことをした外交官がいました。

わたしの祖父も外交官でしたからちょうど同じころの話です。。。


もし祖父が生きていたら(今112歳なわけだけど)いろいろな話が出来たかも

しれません


ハンブルグに戻ることがあったら、また、いつか、違う季節のノイエンガンメに

いって、あったはずの未来、残せた未来、続いていく人の連鎖、、、、そういった事を

考えてみたいと思います。。