(フィリピンの古いカトリック教会)
中田善秋さんを含む日本軍の宗教宣撫班がフィリピンに上陸したのは1941年の12月24日。何とクリスマス・イブの日でした。ルソン島北西部のリンガエン湾からの上陸でしたが、アメリカ軍やフィリピン住民からの妨害や抵抗は全くありませんでした。二日前の12月22日に、大量の日本兵が怒涛のように押し寄せ、フィリピン国内の反対勢力を一掃していたからです。日本軍がならした道を、宣撫班の人たちは通って上陸したことになります。
宗教宣撫班の班員たちの宿泊場所は、サン・フェルナンドという町の中心に立つキング・セミナリーというカトリックの神学校でした。班員のうち、主にプロテスタントの牧師たちによって食事が用意され、細やかなクリスマスのお祝いがなされたそうです。その後、カトリックの神父たちが中心となってクリスマスのミサがとり行われました。
中田善秋さんにとってのフィリピンでの日々は、クリスマスから始まったことがわかります。その日より約3年半後、中田さんはサン・パブロ事件という住民虐殺事件への関与を問われ、戦犯とされてしまいます。当時、BC級裁判にて裁かれ、そのまま死刑に処せられる日本軍の軍人たちがたくさんいました。中田さんもフィリピンの収容所の中で自らの死と向き合い、恐怖の日々を味わいます。
そんな中田さんを支えたのが、イエス・キリストの十字架の苦難と復活の希望。その時は丁度、受難週と復活祭(イースター)の時だったのです。その後、中田さんは死刑を免れ、30年の重労働の刑が言い渡され、日本のスガモ・プリズンに移送されます。
中田さんのフィリピンでの日々がクリスマスから始まり、イースターで終わっているのは単なる偶然でしょうか。中田さんはフィリピンにて、まさにキリストのたどられた道を歩まれたように見えます。

