山名八幡宮

 

群馬県高崎市山名町に鎮座

御祭神 玉依比売命・氣長足姫命・誉田和氣命
由来 当社は宇佐八幡宮を勧請しその創建は詳らかではないが文治年中鎌倉時代に新田義範が社殿を造営したと伝えられる(案内板より)

 

神社入口

 

参道

振り返り撮影。 参道は線路の下を潜ります。

太刀割ノ石

慶長五年(1600)高崎藩主伊井直政の許しを得て馬庭流中興の祖、樋口定次が天真流村上天流と試合をするためにあたり当社に神助を祈り参篭し二十一日目の満願の日に八幡宮の神託を受け、批杷の木剣で断ち割ったと伝わります。定次はその後神託どおりに、烏川畔に於いて見事一撃で天流を破りました。

神門

 

手水舎

山名一族の神馬

 

山名八幡宮と出世と馬
山名八幡宮を創建した新田義範は、父・新田義重より山名郷を与えられ、「山名義範」と名乗る。
平家が支配する中、源頼朝の挙兵に、一早く馬で参じて源平の合戦で活躍した。
特に一ノ谷の戦いでは源義経と共に、馬で崖を下る奇襲「鵯越の逆落し」を成功させた。[出典:吾妻鏡]
功績により「伊豆守」に任じられ、その後も頼朝の懐刀として鎌倉で活躍した。
義範の死後も、山名氏は出世を続ける。8代目は六分の一殿(全国の1/6を所領地したの意)、応仁の乱西軍の総大将山名宗全である。
大名となり山名郷を離れても、山名一族は当社を崇敬し時折、馬や金などを奉納している。[出典:蜷川文書]
小さな山名郷から当社に崇敬を続け、出世を重ねた山名一族の物語である。

 

御神木

狛犬

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

 

 

裏神様

 

 

 

 

境内社 弁財天

 

妻戀稲荷神社

 

 

琴平神社・八坂神社