諏訪神社

長野県立科町茂田井字宮ノ内

立科町文化財
諏訪社

 諏訪神社の祭神は建御南方命である。この神は出雲系諏訪族の祖先として諏訪の上下二社に奉斉され古くは南宮ともいった。諏訪神社を中心とする諏訪信仰は全国的であり、その分社の数も非常に多い。
 茂田井の諏訪社の創建は不明である。この神社に関する最も古い記録は天正十六年(一五八八)当時の小諸藩主松平康国(芦田城主依田信蕃の子)が、蓼科神社の神官今井曽五郎にあてた書状がある。この神社を「茂田井之宮」として「神領を遺わしておくからには一騎の軍役を勤め、宮の修理、祭、祈念を怠ってはならない」とある。現在の社殿は江戸時代末期の文化十五年(一八一八)に茂田井の宮大工・田中圓蔵が建てたもので上尾の中の本殿は一間社流造で、周囲が全部みごとな彫刻で飾られている。圓蔵は当時宮大工として天下に名声のあった諏訪の初代立川和四朗の弟子となった人で現在立科町にある圓蔵の作と伝えられるものに、津金寺の仁王門と妙見堂(二代目和四朗と共作)・古町光徳寺山門等がある。(案内板より)

 

神社入口

二の鳥居

水盤

拝殿

本殿

境内社