穂見諏訪十五所神社
山梨県北杜市長坂町長坂に鎮座
御祭神
保食命、建御名方命、国狹槌命、豊斟淳命、大戸道命、大戸辺命、面足之命、惶根之命、句句廼馳命、阿具槌命、埴安姫命、金山彦命、罔象女命、天八十魂命、天三下魂命、天八百魂命、天合魂命、天八十万日魂命
無形文化財 筒粥の行事
1970(昭和45)年10月指定
所在地 長坂町長坂上条1461
管理者 穂見諏訪十五所神社
穂見神社では、毎年1月14日の夕刻から15日の早朝にかけて行われている。
社記によれば、武田信玄の父信虎に命じられたのが始まりで、400有余年の今日でも休むことなく続けられている。
五寸ほどに切った芦をすだれ状に編み、束にしてそれぞれの芦に穀類・野菜・養蚕をはじめ、天災・水・風・雨・霜・景気等の占う種名を決めて、五合の米と五升の水で作った粥の中へこの芦の束を入れ三合の水を追加しながら煮詰めていく。15日未明に神官立合いのもとで芦を開き粥状になっている米の数で占う。
2003(平成15)年3月 長坂町教育委員会(境内案内板より)
創立年月不詳なるも、延喜式所載、甲斐國穂見神社なり、往古甲斐の国民多く稲穂を献ず。諏訪神は甲斐国主武田信虎公によって合祀せられ、社領御朱印四石七斗余を寄進。徳川氏に至り先例により寄進。十五所神は十五所権現とも称せられ、当社別当職として社僧常住せし延宝年間に合祀せる。天文年間武田信虎公より命ぜられたる御筒粥神事は毎年一月十四日夜より翌十五日に亘り厳修され、今日も執行されてゐる。(山梨県神社庁HPより)
神社入口
社号標
神門
手水舎
拝殿
建造物 穂見諏訪神社十五所神社本殿
1976(昭和51)年2月指定
所在地 長坂町長坂上条1461
管理者 穂見諏訪十五所神社
拝殿の裏山、中腹に南面して建てられた本殿は、桁行3.12m、梁間1.9mの三間社流れ造りで、正面の向拝は一間となっている。身舎はすべて円柱、斗拱は出組みで、軒支輪が設けてある。
中備えには、彫刻を入れた蟇股を用い、妻飾りは虹梁大瓶束式で破風に懸魚、桁隠しをつける。正面には三間とも両開きの板扉で、側面と背面は張りの板壁である。
三方に擬宝珠香欄つきの縁をめぐらし、両側の後端に脇障子をたてる。向拝は面取り角柱を虹梁でつなぎ、両端に木鼻をつけ、柱間には斗拱を二つ置き、その間に三個の蟇股を入れ、ともに丸桁を支え、柱上の連れ三斗の組物から梁行に透かし彫りの手挟みを入れる。
向拝の前には浜床を備え、正面に登り高欄つきの木階五段を設ける。
この建物は様式・手法・彫刻の意匠から江戸中期の再興と推定され、当町では最古に属する貴重な文化財である。
2003(平成15)年3月
神楽殿
社務所
長坂町指定文化財
天然記念物 穂見神社の大ケヤキ
1970(昭和45)年10月指定
所在地 長坂町長坂上条1461
管理者 穂見諏訪十五所神社
ニレ科ケヤキ属。このケヤキは夫婦ケヤキといって一対をなしていたものであるが、左側になった女ケヤキは樹勢が衰え枯死してしまい、夫ケヤキのみが現存している。
このケヤキは、樹齢およそ700年余りといわれて、幹の周囲5.2mの巨木で、縁結びのケヤキ・いぼ取りのケヤキとして崇敬され、往時近郷の参詣者でにぎわっていた。(境内案内板より)
神輿庫?
境内社
秋葉神社
境内社
蚕霊大神
庚申塔















