近戸神社

群馬県前橋市粕川町月田

御祭神 大己貴命・豊城入彦命

神社案内より

 当社は東国を鎮定した豊城入彦命の姫君が字丸山に勧請した社を延暦十三年(七九四)に移築したものと言われている。
 現在の社殿は、鎌倉時代の宝治元年(一二四七)に造営されたものと言われ、その後何度か改築された。
 昔から地域の鎮守神・産土神として信仰されるとともに、赤城神社と同じく赤城山信仰による里神であり神仏習合時代は、小沼(粕川の水源)の本地仏である虚空蔵菩薩をお祀りしていた。
 六百年の伝統を誇る獅子舞お華麗な神輿を舁いでの御川降り神事に伴う粕流し神事は「粕川」の由来として有名である。


群馬県指定重要無形文化財 日挾流獅子舞及び御川降り神事
 月田近戸神社の獅子舞は、関東地方に多い一人立ち三頭獅子舞でも早い段階の創始で、「近戸神社由緒記」には室町時代の永享五年(一四三三)に奉納される。獅子舞は九月一日の近戸神社の例大祭で天下泰平・五穀豊穣を祈念して奉納される。社頭での奉納の後、神輿の渡御に従い粕川対岸の近戸神社外宮まで道中を連ねる。外宮は獅子山とも呼ばれ、獅子舞が奉納される間、神官により粕川への濁酒流しが行われる。これら一連の神事は「御川降り」神事と呼ばれ、粕川の名の由来となっている。一行が神社に戻り宵闇せまる頃、「雌獅子隠し」が奉納される。躍動感溢れる舞いで、神事の終了後に観衆を楽しませる余興ともなっている。
 この獅子舞を奉仕する獅子連は、かつては月田近戸組の家の跡取りのみで構成され、口伝により舞いの所作が受け継がれてきた。流派は「天下一挟流」で、獅子を演ずる「獅子っ子」は十代の早くから獅子連に加わり、年齢を追うごとに「笛掛り」、「歌掛り」へと進み、人生の半ばを獅子舞に奉仕する。この世代を越えた獅子連構成の仕組みが、地域住民あげての協力と共に、昔からの厳粛な芸態を現在まで継承してきた要因となっている。


文化財

御神輿(前橋市指定文化財)・石造狛犬・虚空蔵菩薩像(江戸時代前期の作 木造で高さ四十センチ)・六地蔵石殿(旧文部省指定重要美術品)・赤城塔及び中世石仏群・野口雨情歌碑


関連神社

近戸神社 (前橋市)


一の鳥居

二の鳥居

狛犬



手水舎

神楽殿

拝殿

近戸神社の扁額

蠶影大明神の扁額

本殿

近戸神社の石造狛犬

 この狛犬は、碓氷峠の熊野神社の狛犬とともに石造狛犬では県内で最も古い狛犬です。狛犬は、古代中国の廟所守護として阿吽一対を置いたのが始まりと言われています。日本では、奈良時代の宗風様式の木彫狛犬と鎌倉時代後期と推定される和風様式の石造狛犬があります。南北朝時代になると石造狛犬は畿内各地に見られますが、東国では、中世(鎌倉時代~室町時代)石造狛犬の現在例は極めてまれです。群馬県内では熊野神社とこの近戸神社の二例だけがともに室町時代の和風彫刻です。この狛犬は、他の時代のものと異なり頭部が小さく偏平で童顔をしています。また、巻き毛も丸みがあって穏やかで親しみの持てる像です。以前は拝殿前にありましたが、一部欠損したため新しい狛犬が奉納され、以後現在地へ遷し大切に保存されています。

粕川村指定指定重要美術品
 昭和十八年十月一日文部省認定

石造六地蔵殿
 粕川村大字月田近戸境内
 正面と両側面をそれぞれ二区にわけ、一体づつ浮彫りして、計六体を刻んである。背面の銘で暦五年壬午(一三四一)二月十五日、幽阿弥陀佛の建立とわかる。全体を堂に見立て屋根は欠損甚しいが四柱造りの型式を示している。石は安山岩である。吉野時代の地方石造品の標準になる。

境内社



金毘羅大権現・高王山・山神宮・石尊大権現・赤城大明神・妙見宮 その他不明

駐車場の北に庚申塔や石仏群