新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)
長野県佐久市田口に鎮座
御祭神:興波岐命・健御名方命・誉田別命・事代主命
由緒
創立 健御名方命の御子興波岐命は新開(ニイサク)神、大県神、八県宿弥神とも称され、田口に本拠を構えて千曲川等の河川氾濫原や平地を開拓した集団の長であり、佐久地方開拓の祖神として古墳時代にこの地に祀られた。
佐久郡の総社であって、昔は祭典も盛大に行われ、佐久郡の社家は当社の祭典に出仕した。
文化財 東本社(国指定重要文化財)一間社流れ造向拝、母屋の木鼻に特色がある。
三重塔(国指定重要文化財)神宮寺の塔で和様を主とするが、禅宗様もまざっている塔その他文化財多数あり。(長野神社庁HPより)
(境内案内板より)
当社は、佐久地方開拓の租神である「興波岐命」と御父神「建御名方命」(諏訪さま)、御伯父神「事代主命」(恵比寿さま)「誉田別命」(八幡さま)の四神をまつる佐久三庄三十六郷の総社である。
古来、武将をはじめ人々の崇敬あつく、源氏、足利氏、田口氏、武田氏、徳川氏、大給氏らが社領寄進・神殿修理再建等を沙汰している。わけても源頼朝は源氏の祖神「誉田別命」をまつるべく沙汰し、甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は永禄八年(一五六五年)上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉り見事勝利をおさめている。
三重塔(嘉詳二年=八四九年)、東本殿(室町時代・信玄再興)は重要文化財、御魂代石は重文指定申請中である。
例祭 四月十二日 十月一日
特殊神事 御田植祭 一月六日
御神符祭 一月十五日
(天照神社・春日社・愛宕社・市杵嶋社・稲荷社・富士浅間社・大日霊女社・住吉社・八幡社・諏訪社・伊弉冊社・加茂社)
相殿 御祭神:誉田別命(応神天皇) 右・中本社 御祭神:健御名方命
重要文化財 新海三社神社宝庫(三重塔)
明治四十年八月二十八日指定
三間山層塔婆、屋根?葺
社伝によると、嘉祥二年(八四九年)に創立し、文明(一四六九年-一四八七年室町時代)年間に修理したとあるが、この塔は様式、手法上から室町中期のものと推定されるので、おそらく文明の頃再建されたものである。形がよく整い、温雅の風調があり、相輪に至までよく創建当初のものが保存されている。
新海神社三重塔(重要文化財) :別の案内板より
新海三社神社の神宮寺の塔として建立され明治維新の廃仏毀釈の際には神社の宝庫として破却をまぬがれた。 風鐸の銘により永正12年(1515)の建立と考えられる。様式は和様を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられて居り、初重とニ三重の垂木の方向の違いなどにそれが見られる。
境内の地図によると、
稲荷神社・駐車場の間の道を山へ向けて進むと荒神社に行けるようだが・・・
境内の空間線量は0.1~0.13μsv/h。
2024年4月、荒神社を見つける事が出来ました。